旧沖縄県立博物館

旧沖縄県立博物館

沖縄県立博物館の歴史

以前首里城の近くにあった博物館は、新都心に新しい県立博物館として生まれ変わりました。でも、この旧博物館には現在の県立博物館にはない歴史と良いところがありましたので、それについて少々。
沖縄陳列館    前身は昭和11年に旧首里城北殿をつかって作られた郷土博物館で、先の大戦で昭和20年に焼失してからは、その年の8月に米海軍軍政府は残欠文化財を収集して、石川市字東恩納に「沖縄陳列館」を作りました。
また県民の有志により、首里城周辺の廃墟の中から残欠文化財の収集が行われ、昭和21年頃に首里汀良町に「首里市立郷土博物館」が設立されます。 その後、沖縄陳列館は沖縄民政府に移管されて「東恩納博物館」と改称して新たに発足しました。これらが県立博物館の直接の前身です。沖縄民政府首里博物館と改称され、 28年には東恩納博物館と首里の博物館が合併して現在の地に移り、30年に「琉球政府立博物館」と改称します。初期の県立博物館41年には現在の場所に米国の協力で新館を建設。
そして1972年に日本への返還とともに沖縄県立博物館となったわけです。
この場所は以前中城御殿と呼ばれ、尚家の血筋の人達が住んでいた場所で、周りの石垣は扇形であいかた積みという高度な石の積み方がなされていて、その一部は戦前の形をとどめており、修復部分もそれに習って作られていました。その建物自体が沖縄の戦後の歴史をあらわしているかのような風格が感じらるものでした。

沖縄県立博物館・新旧の違い

 今の県立博物館は設計ももちろん新しく、利用者の利便を図るような設計がなされています。それに伴い学芸員も増えているようで、企画展の回数も増えていたりするように感じられます。
でも、旧博物館のような展示者と利用者の距離がごく近い、そのうえ利用者の立場に立った運営は、新博物館完成とともに薄れていってしまったようです。
例えばWEB用にデジカメで簡単に写真を撮るにしても、旧博物館時代は係員に話すと、「はいはい、どうぞ。ストロボはたかないでくださいね。」と即座に対応してくれていたのが、今は「ちょっと待ってください。今学芸員の先生に伺ってきますから。」と答えてしばらく待たされた末に、「今、担当の先生が休みでいらっしゃらないので…。事前に撮影の申請書類を提出していただかないと…。」
おいおい、こんなに待たせてその返事?以前の博物館ではこんな理不尽なことはなかったんですが、というと、「それでは待ってくださいね…。」と言い「この申請書に名前と住所を書いてください。別の学芸員の先生に許可をいただいてきますから。」
そう、悪い意味でお役所的な対応しかできなくなってきています。なんだか学芸員さんが以前のように身近に質問できる相手ではなく、一般職員にとっては雲の上の人的存在になってしまったような…。

なぜこうなったのかわかりませんが、システム、器だけが利用者の立場にフレンドリーになっても、運営がお役所的な状態では…以前のように、機械的でなく気楽な温かみのある対応ができるような博物館になれば、もっともっと県内の利用者も増えていき、沖縄に興味を持ってくれる子供たちも増えてくるような気がしますが。

もっとも観光においでになって一通りご覧になるだけでしたら、新博物館のほうが見やすくなっていて、何の不都合もありません。


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