沖縄県立博物館3
Okinawa Prefectural Museum

沖縄県立博物館外観

沖縄線刻板(版)について


 考古部門には、以前の博物館でも飾られていた線刻石板(版)が、裏側も見ることができるように回転するアクリル台に乗って飾られていました。
磨き上げられたような平らな石の表面に刻まれた何かの数をあらわしたと思われる模様。そして鳥をあらわしたらしい印がいくつか。大きな家か船、もしくは祭祀場。
沖縄本島中部西海岸のグスク、拝所、畑などで13点が発見されたようですが現在確認できるものは11点。その中の4点が博物館に収蔵されています。この石に関しては諸説がありますが、琉球の文字であると結論付けるのは乱暴としても、これだけのものを作ったのですからいたづらとは思えません。何かを我々に語っているとは思うのですが、大した考古学の知識を持たない私には難解すぎます。 でも、これからもっと研究すべき対象であることは確かなようです。
意味や用途が解明されていないことから、沖縄のロゼッタ・ストーンと呼ばれているこれらの石板は、いったい何を我々に語っているのか、いつ見ても不思議です。沖縄線刻板1 沖縄線刻板2

その他もろもろ

線刻魚紋皿花弁型皿  この写真は線刻魚紋皿。
仲村渠到元という方が18世紀に作ったそうで、沖縄的には一番有名だった陶芸家、沖縄県で初の人間国宝・金城次郎氏の作風の元になったようなもの。
200年後の今見てみても、素敵なお皿です。

 下にあるのは花弁型皿。
19世紀のものらしいですが、特に大きなお皿というわけではないので、一か所当たりのキャパが少ない、何に使ったんだろうのお皿。
もしかすると香辛料なんかを入れていたのかもしれませんね。

沖縄の歴史について

沖縄風俗図絵  これはかなり近年になりますが、沖縄風俗図絵。記録漏れしましたが、たぶん明治か大正初期の沖縄に関する本の一ページのようです。アメリカ合衆国と琉球王国政府の定約調印書
当時の服装、物を頭に荷物を載せて運んぶ女性などの様子が良く書かれています。
 そしてこの写真はアメリカ合衆国と琉球王国政府の定約調印書。
1854年にペリー提督と首里王朝との間で結ばれた条約です。
でも、王国側が役職を偽装していたので効力はほとんど無かったそうです。沖縄県立博物館にある神人の祈りのジオラマ 沖縄では琉球王国が成立する以前から、先祖崇拝、自然崇拝のような宗教観が根強く伝えられてきました。それが琉球王国が安定してくると、政治組織の一部に聞得大君を頂点とすっるノロと言われる司祭が制度化されました。祖先を迎え、豊穣を願い、災厄を払い、豊穣を祝うといった時節ごとの祭事、祈りが行われ、その一部は今でも地方に行くと執り行われています。

首里那覇港図

 
下は19世紀に描かれた首里那覇港図八曲一隻の屏風。
当時のたくさんの場面を一枚の屏風に描いています。停泊中の船は進貢船でしょうか。いくつのシーンが描かれているか、良く見てみるのも一興かも。勿論地形も埋め立ての進んだ現在とは異なっていて、興味深いものです。

※ということで、個人的に興味のあるものを羅列してみましたが、県立博物館には、この他にも数え切れないくらいの物品が工夫を凝らして解りやすく展示されていて、沖縄を知るには良い施設だと思います。
ここでは触れませんでしたが、琉球弧ならではの生物などに関する展示品も多くありました。
首里那覇港図八曲一隻の屏風
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