首里城 ・歴史と守礼門-園比屋武御嶽

首里城の簡単な歴史と守礼門、園比屋武御嶽

琉球王国の中心だった首里城跡・2000年に世界遺産に指定されました。
 沖縄世界遺産のなかで最大の規模を持つメジャーな首里城。多くの人が沖縄に観光に来ると、必ず一回は立ち寄る場所。建物の再現も徐々に進んでいて、往時の華やかな雰囲気を感じる事ができるかと思います。

首里城へのアクセス

・モノレール:那覇空港駅〜首里駅(大人290円) 首里駅から約1.1km 歩いて約15分。
・自動車:高速那覇インターから約1.8km 駐車場が首里城公園の地下にあり、普通車一回310円。
ただし基本は2時間まで。 週末とかシーズンなどの混雑時には、満車の場合もありますので周辺の駐車場をどうぞ。
 

首里城の歴史

  この首里城はいつ造られたのかがははっきり解っていませんが、三山時代には中山の城として存在していたのでおそらく14世紀の初め頃に作られたのではないかと考えられます。
  三山統一を果たした琉球王国の中心として長い間機能していましたが、文献によると現在までに何回か火災にあっているようで、1453年に王位後継者争いである志魯布里の乱で多くの部分が焼失。
1660年、1712年にも火災に見舞われて、その三年後に再建さました。
  その建物も、第二次大戦で日本軍が首里城を利用していたために、対戦末期の1945年5月、アメリカ軍の攻撃を受け破壊されました。
  戦後はこの場所に琉球大学が造られて多くの遺構も破壊されてしまいましたが、1958年に守礼門が再建されたのをきっかけに再建の機運が高まり、1972年の日本復帰後、歓会門やその周辺の石垣なども復元されました。
  1989年には本格的な発掘調査や正殿や周辺の門などの復元作業が始まり、1992年、やっとほぼ今の状態にまで再建されてされて首里城公園としてオープンされました。 2000年に首里城跡として世界遺産に登録され、現在でも正殿裏に当たる部分の調査、復元がすすめられています。
(下の写真は、左が大戦で破壊される前の首里城本殿。右が最近の本殿の様子です。)
第二次大戦前の首里城首里城正殿
守礼門
守礼門

守礼門

 車を停めて案内に沿って地下から上がると、まず目に付くのは有名な守礼門。美しい中国風の門で、二千円札にも絵柄として使われています。
 現在あるのは1958年に復元された物で、昼間は傍に写真屋さんと琉装の女性が何人か記念写真のために待機していたりで周辺はにぎわっています。

 この門が作られたのは、第二尚氏4代目尚清王の時代(1527-1555)といわれ、現在守礼の国と書かれている扁額は待賢と書かれていたそうで、第二尚氏6代目尚永王(1573-1588)の時、冊封時に明皇帝の親書に、「琉球は守礼の邦と称するに足りる」との言葉があったことを元に初めて掲げられたと言われています。その後、冊封使が来るような場合にだけこの額が掲げられていたと言いますが、第二尚氏9代尚質王(1648〜1668)の時代から常掲する様になったそうです。

園比屋武御嶽

 そのすぐ近く、順路の左側度往路沿いに石門があり奥が小さな森になっていますますが、そこが世界遺産に登録された園比屋武御嶽。

 ここは琉球国王が旅に出る時に必ず拝礼したり、聞得大君就任時にも最初に拝礼した聖地。
 石門は第二尚氏王統第3代尚真王の1519年、八重山武富島出身の西塘により造られたと言われています。  この門も第二次世界大戦で破壊されていたのが1957年に復元され、2000年に世界遺産にも登録されました。 王家ゆかりの伊平屋島から神を勧請て祭っているそうです。
 石門の裏手に回ってみましたが、小学校と隣接しているために意外に森は狭くなっていて、往時の雰囲気は薄らいでいるように感じられました。

園比屋武御嶽内部
園比屋武御嶽内部
守礼門の扁額
守礼門の扁額守礼門の裏側
守礼門の裏側
園比屋武御嶽
園比屋武御嶽
園比屋武御嶽の裏側 園比屋武御嶽門の裏側
 
園比屋武御嶽斜めからの写真園比屋武御嶽斜めからの写真
Copyright (C) Okinawa information IMA All Rights Reserved    2010年6月28日   更新