弁才天堂・円鑑池・天女橋
弁才天堂・円鑑池・天女橋
円覚寺跡と道路を隔ててほぼ向かいに、小さな池があり、その中央に小島が作られていてお堂があります。
首里城観光の帰りのルートでもすぐ横を通るので、わかりやすい場所。
15世紀末頃に朝鮮王から贈られた 方冊蔵経( 高麗版大蔵経 )を納めるために、1502年この円鑑池の中にお堂が設けられ、そこへ渡るための橋(当時は観蓮橋と言う名前でした。)である天女橋が造られました。
1609年に薩摩藩が琉球に攻め込んできたために、お堂は破壊されて方冊蔵経は失われましたが、1621年に新たにお堂を建て弁財天像を祀って以来、 ここは弁財天堂と呼ばれ、観蓮橋も天女橋と名前を変えて呼ばれるようになりました。
天女橋は中国南部にある橋に似た琉球石灰岩を用いたアーチ橋で、 全長9.75m、幅2.42m、欄干は細粒砂岩で造られています。
1945年に沖縄戦で弁才天堂も破壊され、 天女橋も大破しましたが、1968年に弁才天堂が復元され、翌年に天女橋も修復されました。
(一部現地説明板を参考にしました)
弁才天堂・円鑑池・天女橋付近の航空写真
琉潭池
円鑑池から琉潭池に続く遊歩道
円鑑池から戻り、又少し行ってから階段を下りていくか、回り込むように進むと、一段低くなった琉潭池の南端にでます。
ここは1427年、冊封使の進言により造られた人工池といわれ、「香りのする木や花を植え、万人が利用できるようにして太平の世の象徴として永遠の記念とした」などと書かれた石碑がありました。
冊封使をもてなす船遊びの宴も、ここで行われたと言うことです。
周囲の木々のおかげで快適な影のできる石畳の遊歩道を歩いていると、大型の水鳥が人を怖がらずにあちこちにいるのでびっくり。
近づいても逃げるではなく、かといって餌をねだってくると言うわけでもなく、通る人達と良い関係にあるようです。
川のように細くなっている部分の両側は、亜熱帯の木々が生い茂っていて、那覇の中心部だとは思えないような静かな環境。そして見かける人達もまばら。
進んでいくうちに、かわいい水鳥の赤ちゃんが何羽か座っていて、その近くに親鳥らしき鳥がいても、両方とも私が近寄っても逃げる気配なし。
首里城の観光客の多さや、その周辺に並ぶ雑多な商店などの賑やかさとは、別の次元の空間のようです。
池が広くなるあたりに東屋とトイレなどの施設があり、この道は車の通りの多い道路、29号線にでて終わりになります。この道路から池越しに見える首里城の建物群は、池の周囲の木々と良いバランスで、夜間ライトアップされている時などは、特に見ものです。
琉潭池遊歩道の終点近くの東屋
次のページで少し大きめの首里城とその周辺の写真を乗せています。

円鑑池から琉潭池に続く遊歩道2
琉潭池の水鳥達
水鳥の赤ちゃん
※円鑑池から琉潭池へのコースは、首里城観光においでになったら、是非時間をとって寄ってみてほしい場所のひとつです。
琉潭池越しに見た首里城
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更新 2011年01月09日