戦争が何かを今に伝える施設です。

大田司令官の心は今に伝わっているのでしょうか… 那覇の小禄と豊見城市の境目辺りに、旧海軍司令部壕があります。司令官であった大田実也氏ほか約多数の海軍兵士がこの周辺で戦死しました。 現在では戦争とは何であったのか、平和がどれほど尊いものなのかを語る施設になっています。 海軍は当時約一万人いたので壕はあちこちに作られ、この施設は司令部があった壕の跡に作られています。
駐車場から階段を登っていくと、壁面がガラスでできたおしゃれな感じの建物があり、そこが入り口になります。
入っていくとまず資料室に案内されます。 写真パネルや当時使用していた日用品などとともに、沖縄戦の経過を書いたボードなどが展示されていました。 その中に、実際戦いに加わった方々の手記もあり、当時の様子が生々しく伝わってきます。



階段を下りて壕の中に入っていくと、途中からは当時人力によってつるはしなどで彫られた跡が通路一面に彫られています。 資料によると二ヶ月足らずで作られたとありますが、その割には几帳面に作られていると言う印象。 すぐに作戦室、幕僚室などがあり、司令官室とともにきちんと四角に作られていましたが、広さは予想していた以上に狭く、最後の頃にはどの部屋も通路さえも兵士でいっぱいになり、立ったままで睡眠をとるような状況だったと言う事が想像できるものでした。

右の写真は、兵士たちが戦いのために出て行った出入り口ですが、現在はこのように扉で閉められています。ここから出陣した兵士のほとんどは、2度と帰る事が無かったと語られています。
最後までここに残った兵士たちも、米軍に追い詰められる戦況の中で自決せざるをえなくなってきます。
司令官室には今でも壁に塗られた漆喰に、自決のために使用した手榴弾の破片によってつけられた多数の跡が残っています。
大田実也司令官は、自決する数日前に下記のような電文を打ちました。この内容は、この建物の前に有る仁愛の碑として残されています。
内容は現代語訳にして、写真とともに記しておきました。