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.・.*・. 沖縄最新情報 I M A . Vol.61 2000.10.27
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最近発行が遅れてすいません。ちょっと仕事が多忙なもので…
今 回 の お 題 目
□修学旅行 in Okinawa
■アクアポリスが消えた
■沖縄の歴史(最終回)
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□修学旅行 in Okinawa
最近国際通りを歩いていると、とても修学旅行生が目に付きます。
どうしてわかるかって?制服着てみやげ物の袋を下げているからですよ。
スケジュールで、半日くらいの自由行動を国際通りで取るのが最近の流行?みたいです。確かに今ごろは観光には良いシーズンです。私の所にも、撮影依頼があって、高校生の修学旅行についていきました。
1日目は宜野湾のラグナガーデンホテルに宿泊!女生徒の多い学校だったので、上等ホテルに皆おおはしゃぎ!で、疲れて就寝。
私も泊まりましたが、このホテル、相変わらずソフト面でも細かい気配りがあり、高級感のあるハード面とあいまって一流ホテルの資格は充分。ただ、場所がちょっと中途半端なのが欠点かな?
次の日は水納島。1日中体験学習という名前のビーチでの遊び。
いつも思うんですが、シュノーケリング体験の時に、泳げる泳げないにかかわらず、フローティングベストをつけさせられます。まあ、確かに沈まないから安全だとは思いますが、やっぱり楽しさは半減してしまうと思うんだけど…
商業ベースで業者がやっているからかもしれませんが、海のほんとの楽しさを皆に知ってもらいたいなーなんて感じました。
そして、後はお決まりの首里城観光。開門前にはじめて行ったけど、開門のセレモニーがあるんですね。
単に鐘を鳴らしてから、大きな声で「開門!。」
とかいうだけだけですが、結構厳かな雰囲気が流れます。朝の9時です。
ということで、同行撮影は結構楽しいけど疲れました。
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■アクアポリスが消えた
沖縄国際海洋博覧会のシンボルとして華々しく登場したアクアポリスが、先日
撤去されました。約25年間皆に親しまれていたのですが、スクラップとして処理されてしまうようです。一時は那覇沖に曳航されて再利用されると言う話も有ったのですが、立ち消えてしまいました。百二十三億円書けて造られた、高さ32メートル、100メートル四方の巨大半潜水型の海洋構造物。約480万人が訪れたそうですが、今となっては巨大な鉄のかたまりとしてしか価値がないのでしょうか。
何か、寂しいような、もったいないような気がするのは私だけでしょうか。
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■沖縄の歴史(16)
1853年、5月26日にアメリカのペリー提督率いる4隻の軍艦が那覇港沖に停泊しました。護国寺にいた前出のベッテルハイムは、丘の上に英国国旗を立てて歓迎の意を表しました。尚泰王は、この時まだ11歳だったので、代理の摩文仁按司が交渉にあたりました。ペリーは沖縄を占領し、人民を解放すれば、日本の開国を迫る足場になると考えていたようです。しかし、首里城に来て会談を重ねていくうち、友好関係が結べると判断した彼は、7月半ばには琉球を後にして江戸に向かう事になります。これが日本国中を大騒動に巻き込んだ浦賀沖の黒船です。
無事に翌年、日米和親条約が結ばれ、一向は又那覇に帰ってきました。
そして、半ば強引に米琉修好条約が結ばれました。
アメリカの船乗りが、酔っぱらって婦女子に暴行を加えるなど乱暴もしていたようです。
あれ、今の沖縄と米軍の関係になんか似てますね…
1871年、日本で廃藩置県が行われ、それに伴い琉球は鹿児島県の管轄下に置かれるようになります。
その後、続いていた琉球の王朝制度が問題になり始め、俗にいわれる琉球処分が強制的に行われました。王は東京に住まう事。そして首里城は開け渡し王府は解体する事、などがその内容でした。
1875年5月27日、尚泰王は首里城を離れる事になったのです。
後の歴史はご存知のとおり。かな?
沖縄は太平洋戦争に巻き込まれ、本土決戦のための捨石と位置付けられて、国内唯一の地上戦が行われて、多くの犠牲者を出しました。
ウチナーンチュも皇国史観を叩き込まれ、軍属の偏向教育によりアメリカは鬼だ!人間じゃない!と思い込み、捕虜になるより自決を選ぶ県民が多くいたそうです。
怖くて逃げ出すような者は、日本軍の兵隊により射殺されたケースもまれではなかったようです。自分の子供を殴り殺してから、自殺する親。手榴弾で集団自決した学徒の話。沖縄では、このような体験を今でも語りつづけるお年寄りがいます。
で、最近。沖縄はその亜熱帯の珊瑚礁の海に囲まれている環境から、他府県の観光客が来沖してくれています。しかし、その陰では米軍基地が多くの土地を占有し、米兵の不祥事が多発している事も事実なのです。
琉球の人たちが、歴史のなかを色々な外圧に流されたように見えて、本当の所はめんめんと受け継がれてきた琉球文化。これから、大和、アメリカの文化に染まりつつあるウチナーンチュは、命ドゥ宝!の深い意味を心の奥にしまいながら、きっとこれからも独自の文化を築き続けてくれるものと、私は確信したいと思います。 完
沖縄の歴史に関しては、メルマガと言う媒体の特性上、細切れでわかりにくかった事をお詫びいたします。なるべく早く、写真等を含めた形で、ダイジェスト版のサイトアップをお約束いたします。 ナイチャー小林
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編集後記
学生の中間試験も終わって、ちょっと一息。中学生なのに九九がしっかりしないような子もいれば、学年で1番2番の子もいるし、中々バラエティーにとんだ構成の私共の塾は、大変です。でも、ほとんどの学生がすこしづつでも成績を上げてきたので、安堵の胸をなでおろしています。
ところで、近いうちにアドレスをかえるかも知れません。その時にはサイト全体を再度見直そうかと思っています。伊是名、伊平屋の情報をお持ちの方、ご協力いただけたらうれしいです。
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発行責任者:ナイチャー小林 sai@nirai.ne.jp メール歓迎!
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