Iowaさんの先島逍遥 レポート  :Iowa -2011/08/10(Wed) 22:42 No.4350

波照間島・西表島編
  

波照間島のマンホールの蓋  7月3日から2週間、八重山諸島と宮古島を回りました。
逍遙なんて、カッコつけていますが、単なるおっさんの一人旅です。いい歳こいたおっさんが、南の島で毎日毎日朝から晩までほっつき歩き、2週間経つと真っ黒になってしまいました。
子供じゃないんだからと言われています。
特に恥ずかしいのが足。
普通には見られることはないのですが、足の指と甲が楕 >円形に黒くなり、スポーツサンダルの形になっています。最初の波照間島で油断しました。
  途中突然できた熱帯低気圧の影響が少しありましたが、基本的に天候には恵まれ、後にも先にもない夢のような2週間でした。
これからレポを書いてみようと思うのですが、長期間の上、いろいろありすぎてどこまで書けるか正直自信はありません。
一応、端折れる所は端折りながらダイジェスト版で頑張ってみます。

波照間島
石垣島で食べたタコライス  7月3日。
朝8時半発の飛行機はポケモンジェットでした。中3になってもポケモンゲームをやっているうちの子供がいっしょでしたら喜んだでしょう。
  この日は車を運転する予定がないので、朝から生ビールを飲みながら搭乗を待ちましたが、出発が遅れました。一時は機材変更のアナウンスまで流れましたが、40分以上の遅れで何とか離陸し、遅れを取り戻すようスピードを上げて飛行。
  那覇からの乗り継ぎ便は同じ会社の便なので待っていてくれましたが、乗継ぎ時間は10分でした。
  途中宮古島を見下ろしながら1時前には石垣空港に到着し、すぐ離島ターミナルへ向かいました。
ターミナルに入ってすぐの安栄観光で予約しておいた波照間から大原へのチケットを購入し、次に隅にある波照間海運の事務所へ行ましたが閉まっていたので、隣の観光会社にスーツケースを預かってもらい、町をブラブラしました。
  美崎町を抜け、あやぱにモール(今はネーミングライツで違う名称のようですが)の公設市場まで行くと前に地ビールの看板が。
2階にある店はちょうど開けるところで、入って地ビールを飲み、タコライスで昼食としました。
波照間港 船が3時半出港なので、3時少し前にターミナルに戻ると今度は波照間海運の事務所に人がいました。
予約してあったチケットを購入し、スーツケースを受取り、船を待ちます。
  安永ではなく波照間海運にしたのは大型の高速船、「ぱいぱてぃろーま」は揺れが少なく快適と聞いたからなのですが、今回の船は残念ながら「ニューはてるま」でした。
しかし定刻どおりに出航すると海は穏やかで、西表島と新城島の間辺りまでは全く揺れませんでした。
その先も大きく揺れることは無かったのですが、それでも船酔いした乗客がいてトイレに行っている間は速度を落としたりして、石垣から1時間ほどで波照間港に到着しました。
波照間にいたヤギ達 港には宿から迎えの車が来ており、同時刻に安永の船で石垣を出た人たちと合流し宿泊先に向かいました。宿泊はホテルオーシャンズです。
チェックインをしていると星空観測タワーに行くのであれば8時10分にここに集合とのことで、また今日は日曜日で近くの食堂などで開いている所が少なく、こちらで定食も準備できますがどうしますかと聞かれまました。
  2泊しますが一食は併設の食堂兼居酒屋浜シタン亭で取ろうと思っていましたので、7時でお願いしました。なお浜シタン亭は7月1日から一般営業を止め、宿泊者専用となったそうです。
オーシャンズはホテルとは名乗っていますが、家族と数人のヘルパーさんで運営する民宿に近い形態です。ただ、2階建てで屋上のある建物の2階の客室はフローリングでベッド、バス・トイレ付、滞在中離島の宿にはつきものの虫やヤモリは見かけませんでした。
客室は禁煙ですが2階の両サイドはベランダになっていて洗濯物を干せるのですが、喫煙もできます。
そして私の部屋は一番端で便利でした。
  部屋に入り荷物を解き着替え、最南端の碑まで行ってみることにしました。
ここでは車、バイク、自転車、電動アシスト自転車(エネループで制動時に充電します)の貸し出しをしています。それとイラスト入の手描きの地図が用意されていますが、これがわかりやすくなかなか優れもの。早速地図をもらい、電アシ自転車を借り出して宿のある集落から海岸線に向かって一気に下り坂を降りて、海沿いに走りました。
しかしこの島、ヤギが多いです。親を繋いでおけば仔ヤギは離れないので放し飼いです。
着いた最南端の碑はいろんな碑が立っていて、どれが本当の最南端の碑か迷います。
歩き辛い琉球石灰岩の上を伝い海岸線へ出て高那崎の断崖とぶつかる波飛沫を眺め、星空観測タワーを通り過ぎ、今は定期便のなくなった波照間空港の滑走路を望む辺りから島を東西に横切る道路を登って行きました。
島の中央に位置する灯台の脇を通り、島の北岸の一番西側にあるニシ浜へ。
夕日が有名ですが日の入りは7時半頃、この日は星空観測タワーへ行かなければならないので宿に戻りました。 シャワーを浴びて夕食です。
  この日は豆腐チャンプルーや煮物をメインにした定食でした。
最初にビールを飲み、次に泡盛をお願いすると、
「泡波でいいですか?八重泉、請福もありますけど」と言ってきます。いいんです、いいんです泡波で。
普通に泡波が出てきてしまいます。
  星空観測タワーへは宿の車に分乗して送ってもらいます。
集落の中は街灯がところどころにあるのでのですが、集落を出ると真っ暗、まさに星明りだけが頼りです。
自転車で行こうと考え、掲示板で無謀だと止められた意味が分かりました。
この日は新月から3日目のため文字通り細い三日月が低い位置に出ていましたが、星を見るには最高のコンディションでした。
観測タワーでは屋上に上がり、観測ドームの天体望遠鏡で順番に三日月のよく見えるクレーターを観察します。そして星と星座の説明が始まります。この日は普通6月までといわれる南十字星(はいむるぶし)の内、上と向かって左の星が水平線上に見えました。
説明では右も出たとのことでしたが、私には確認できず。
この時期では10点満点中9点は出せるコンディションだそうでした。 やがて月が沈むと満天の星空に星が流れ、人工衛星がスーッと動いていくのが見えます。流れ星に歓声が上がると、興奮しないように、流れ星は普通です、何分かに一個は必ず見られます、とのこと。
星明りは意外に明るく海を照らし出します。
時々雲が流れる者の天然プラネタリウム状態の星空を満喫しました。
最後にドームで土星の輪っかを見せてもらい、迎えの車に乗りました。
  宿に戻ってからは、屋上に用意されているゴザを敷き、氷をもらい持参のウィスキーを飲みながら飽きることなく星空を眺めました。
観測タワーではまだ早い時間帯でしたので南から東の空に向かって流れていた天の川は、だんだん南から北へ向かうように移動していきます。所々に雲が浮かんでいますが、飛び去った合間には視界いっぱいの星空が広がります。これだけの星空を見たのは何十年ぶりのことでした。
 一日目でこれでは、完結までどれぐらいかかるのでしょうか。
でも、波照間島はそれだけ魅力的な島だったのです。
波照間島の離島らしい道7月4日。
 朝食前に宿の近くを散歩しました。静寂に包まれ、ほんとにのーんびりした時間が流れています。  朝食後は再び電アシ自転車を借りてシュノーケリングの器材や着替えを積み、まず宿のある名石集落を回ってみました。
泡波の波照間酒造所やコート盛のほか、日本最南端の郵便局や駐在所など、最南端を謳っていなくても小中学校、幼稚園、保育園、診療所全て最南端シリーズで見所はいっぱいです。
 次に島の西側に向かいビーチを見て歩きました。
最初はペー浜。ニシ浜の西端、島の西北にある浜崎を南に回りこんで続くビーチです。
白くサラサラな砂の美しいビーチが弧を描いています。さらに南下し毛崎を過ぎた辺りの毛ビーチ。
こちらは珊瑚のかけらでできた小さいビーチです。そこから一周道路をニシ浜へ。
途中海岸へ出られそうな道がある簿でたどってみると先ほど南端に出たペー浜の中央に出られました。
波照間島のニシ浜の海中 一周道路からニシ浜への坂道を下っていくと視界に広がる青い空に白い雲、白い砂浜に海の青のグラデーションが映えます。
このとき時間は10時過ぎ。
この日の干潮は3時半前ぐらいでしたので、時間がたつと泳ぎづらくなります。早速着替えて海に入ってみました。
30mほど行ったところで、なぜか半分砂に埋もれたフィンの片方を発見しました。
まだ新しそうで、落としてからそんなに時間も立っていなさそうなので、一度戻って岩場の上においてきました。 ニシ浜は最初は砂地で、しばらく行くと死んだ珊瑚のガレ場が続きます。
その先は珊瑚が現れ始め、岩礁の切れ目があったりして、少しずつ魚も増えてきます。
200mほどで落ち込み深くなるのですが、その辺では珊瑚が増えていますが、おそらく干潮時には腰高ほどの水深になるので、踏まれて痛んだものも多いです。
落ち込みの先は、再び砂地の海底が続きますが、さらに行くと前方に珊瑚のぎっしり乗った根が現れます。その辺りまで行くとその先左右に同じような根が点在しているのが分かります。
ここまで来ればシュノーケリング天国、珊瑚も魚もいっぱいです。
点在する白い砂地とのコントラストの美しい根を移動しながら時間を忘れて楽しめます。
一時間以上楽しみ浜へ戻ると、先ほど拾ったフィンの持ち主がちょうどフィンを履こうとしていました。
シャワーで潮を落として着替え、器材をざっと洗い一休みしましてから出発。  ニシ浜から一周道路までの登り道も電アシ自転車は軽快に走っていきます。
 牛小屋の横を通り冨嘉集落の入り口まで来ると「パーラーみんぴか」があります。ここの黒みつスペシャルはいる間に一回は食べようと思っていました。時間はちょうど1時を回ったところで昼の休憩に入ってしまい、お客さんはいますが、入り口にはロープが張られ閉まっています。午後の営業は2時半からなので後で来ることにして、昼食をどこかで取ろうと集落をブラブラし、花HANA食堂に入りました。
 まずはビール。自転車で動くこの島では昼間からビールが飲めます。海で泳いで渇いた喉に流し込むビールはたまりません。喉と体の欲するままに2杯のみ、食べたのは島野菜の冷製パスタ。冷たいパスタに島野菜のラタトゥイユがたっぷり乗っていて野菜の甘味と旨味がよくでた美味しい一皿でした。
  のんびり自転車を漕いで宿に戻り、改めて機材を洗って干し、衣類やラッシュなどを洗濯し、その間にシャワーを浴びて休憩です。宿ではヘルパーさんたちがリネン類の洗濯をしていました。
この島にはリネン業者などありませんので、石垣からのフェリーが入港しない日は自力でこなしているそうです。 再び自転車に乗って出かけようとすると、ヘルパーさんから夕食をどうされますかと聞かれましたので、今晩も浜シタン亭でだらだら飲みながら食べることにしました。
  今度は島の北側を散策しました。島の北東部には、台風が多く、それも暖かい海で発達中のものがそのまま島を飲み込むこの地で特有の、可倒式の風力発電風車があります。
その近くにあるシムスケー(古井戸)。一周道路を西へ進むと下田原城跡の案内板を発見しました。
城跡は廃墟のようになったぶりぶち公園になっているはずなのですが、案内板の角を曲がると海岸線への下り坂を一気に降りてしまい結局分からずじまい。突き当たった海岸は、ブドゥマリ(大泊)浜でした。
干潮を過ぎた時間帯でしたので、浜は大きく潮が引き、岩が露出していました。左手向こうには港がよく見えます。
そろそろみんぴかへ行き黒みつスペシャルを食べようと、一周道路に戻りブラブラとみんぴかを目指し自転車を漕ぎました。着いてみるとまたしても入り口にはロープが。もう5時になっているとも思いませんでしたし、5時で終了とも思いませんでした。
7時半過ぎに日の入りのこの日、5時はまだ日が高い真っ昼間ですが、2時半の再開時間を確認したものの、閉店時間を確認していなかった私の負けです。
失意のまま、隣のモンパの木や冨嘉商店を冷かしながらホテルへ戻りました。 だいぶ日の傾いた7時過ぎ、再び自転車でニシ浜に向かいました。
波照間島のニシ浜で見た夕焼け
星空観測タワーが定休日の月曜の夕暮れ時、島中の観光客はニシ浜に集合です。
とはいっても広い浜辺ですので混雑した感じではないのですが。
この日は水平線上に雲がかかっていて、日没は難しそうですが、夕焼け雲が期待できそうです。
そろそろ日没と言う時間に赤く染まった雲を見ていると、雲の下が切れ沈む太陽が顔を出し海面を赤く染めました。
島酒、泡盛の泡波 ホテルに戻り夕食。
まずは生ビールの後、泡波をお願いすると、
「3合ビンでも出せますよ、余ったのはお土産に持ち帰っていいですから」と。 いいえ持ち帰りません、全部飲んでしまいますから。
泡波ってそんなに大それたお酒ではないんです。
多分今飲めば口当たりの軽い泡波よりも請福の古酒の方が美味しいと感じるのではないかと思います。でも、島で飲む島(泡盛)は違うんです。水の違いなのでしょうか。
波照間では確かに泡波が美味いんです。
日中共同売店を車で回りながらミニチュアボトルではない大きいビンの泡波を探している人を見かけましたが、全く見つからない様子でした。
でも、ホテルのフロントではこの3合ビンを食堂で飲むよりは高いですが3000円で宿泊客に販売しています。売上げ一本につき1500円強が公民館に寄付されるとのことです。
  食事が終わってからも食堂でだらだらと泡波を飲んでいますと、
「○○さん全部飲んじゃう式?」 といいながら、宿のご主人がやってきました。  一緒に飲まれますかと進めたのですが、そんなに強くないとかでオリオンの麦職人で付き合ってくれました。定食で余った唐揚やパパイアイリチーなどを並べて飲みながら、島のことをいろいろ伺いました。
 ニシ浜の手前の方の珊瑚が踏まれてダメになってしまうのは、諦めるしかない。役場とすればあそこにネットを張って囲い込んでしまいたいのは山々だけど、そうすると他の浜で泳ぐ人が出て危ないのでしないとか。島の西側は流れが速くて泳ぐのは危険なのだが、2年に一度ぐらいは夜光貝を採るために皆で潜る。
  その時は船で行って流されながら採り船に拾ってもらうとか。
ペー浜で沖に流されても流された先はニシ浜沖なので判っていれば戻ってこれるとか。
駄弁っていると奥さん(多分そう思われる)や小さいお孫さん(同)を連れた娘さん(同)、婿さん(同)なども思い思いの飲み物を持っても集まってきました。ちなみに奥さんは大宜味村の出身だそうです。

  10時過ぎにお開きになった後、氷をもらい部屋で泡波を飲み続け、続いて今日も屋上に上がりました。
この日も良く晴れており視界いっぱいの星空です。だんだん高く上がってくる天の川が夜空を横切ります。偏西風の影響を受けないこの島では星は瞬かず、静かに光り続けます。
そして飽くことなく星を眺め、泡波を飲みつづけた11時過ぎ、ついにその時がやって来ました。
流れていた雲が全て消え、上を向いても360°見回しても全て星空。
文字通り満天の星空です。
泡波を飲みきったのを期に部屋へ戻りました。
ニシ浜での波照間中学校水泳授業風景7月5日。
 朝食時にヘルパーさんから何時の船で帰るか聞かれました。12時の船で大原に向かうことを伝えると、港まで送るので11時半にフロント前に来るように言われました。
昨日逃してしまったみんぴかの黒みつスペシャルを食べたいのだけれど、11時の開店と同時に店に飛び込み、11時半までに宿の戻ると少し遅れてしまうかもしれません。
聞いてみると、荷物を先に預け、自転車でみんぴかへ行き、11時45分までに桟橋へ着けば大丈夫とのことです。
自転車は桟橋近くにあるオーシャンズのレンタルをやっている小屋の前に乗り捨ててよいとのこと。
荷造りして預けてチェックアウト。何度も通った西集落への道をのんびり自転車を漕いで行きました。
11時までまだ時間があるのでニシ浜へ見納めに行きました。
それでこのニシ浜の写真なのですが、何をしていると思われますか。
実はこれ、波照間中学校の水泳の授業なんです。
あの美しいビーチで水泳の授業と聞くと観光客の私なんぞは、なんと贅沢でうらやましい限り、なんて思うのですが、昨日来た時には総出で今日のための準備をしていましたから、実際のところは大変なのだと思います。
ぼーっとニシ浜を眺めていたら11時になってしまい、あわててみんぴかへ行くと、11時を回ったばかりと言うのに既に4,5組のお客さんが入っていました。
 早速黒みつスペシャルを注文し待つこと暫し。みんびかの黒蜜スペシャル作るところを見ていると、氷を削り、黒みつと黄粉を振り掛け、また氷を削り、黒みつと黄粉を振り掛け、と何度も繰り返して積み重ねていきます。
持ってこられた黒みつスペシャルにスプーンを入れ最初の一口。カキ氷の冷たいシャリシャリした食感に黒糖独特の香りと甘み、黄粉の風味が重なりあいながら口の中に広がります。
時間をやりくりして食べに来る価値はありました。
これを食べにこの島まで来ると言う人がいても驚きません。 気候のせいなのかカキ氷を急いで食べたときのように頭の中がキーンとなりません。

  みんぴかから港までは一周道路を経由して5分ほど坂道をただ下るだけです。
オーシャンズのレンタル小屋に着いてみると誰もおらず、時間が少しあったのでターミナルのお土産屋で波照間製糖の黒糖を購入して戻ると、ちょうど宿のご主人が来ていました。
そこへ荷物を積んだ宿の車がやってきて、桟橋まで運んでもらい、船に乗りました。12時の船で帰る人は他におらず、その船で来るお客さんが何人かいるようです。
 時間通りに出航。楽しかった波照間島ともお別れです。
 後部デッキに座り、高速船のスクリューが巻き上げる波飛沫の向こうでどんどん小さくなる島を眺めていました。
西表島

   波照間を後にした高速船は一路西表島の大原港を目指します。波照間から大原までは30分強の航海。 大原では仲間川のマングローブクルーズに乗りたかったのですが、潮位の関係でこの日は1時の便のみとなっており、レンタカーを借り出していると間に合いません。
そこでクルーズを終えてから借り出し手続きをすることにして荷物だけ店で預かってもらえるように電話しておきました。
西表島のサキシマスオウの木するとレンタカー会社の人が桟橋まで荷物を取りに来てくれるとのことで、下船するとターミナルの前で待っていてくれました。
荷物をお願いし、ターミナルの隣の建物でクルーズのチケットを購入しました。
波照間島の宿を自転車で出てからここまで、自分でも感心するほど効率的にことが運んでいたのですが、昼食をとることを忘れていました。ターミナルの売店でジューシーのオニギリを売っていたので購入し急いで食べ終えると、すぐクルーズの遊覧船の出航時間でした。
 仲間港(=大原港)を出た遊覧船はすぐ河口に入り川を遡上していきます。途中船長がマングローブの種類の見分け方などを説明しながら中流にある船着場まで遡りました。 
  船着場に着き、遊歩道を数十メートル辿ると立派な板根を持つ日本最大のサキシマスオウノキが立っています。推定樹齢400年と言われていますが、数十年前に発見されてからずっと400年とされており、一年中温暖なため樹木の年輪の判別の難しいこの地では、本当の樹齢はわからないそうです。
  港へ戻り港から坂道を上がったところにこの島で唯一機能している信号(上原小学校の前にもうひとつあるのですが、教育用で普段は機能していないとのことです)があり、その交差点の角にあるレンタカー会社へ行き車を借り出しました。
  まず向かったのは南風見田の浜です。大原の集落から県道215号を西へ。 バスの終点の豊原地区を過ぎ県道の終点の先の細い道をどん詰りまで進むと南風見田キャンプ場にたどり着きます。
車を降りて少し歩くと南風見田の浜に。この浜はここからさらに西に向かって延々と続き、東側もはるか先まで続く広大な浜で、水平線上には波照間島をうっすらと望むことができました。
  浜辺を歩いてみると椰子の実がいくつも流れ着いていました。 キャンプ場から来た道を戻り、南風見田の浜の一番東側の岩場を超えた場所に忘勿石の碑が立っています。
戦時中、波照間島の全住民は軍の命令により、マラリア汚染地であった南風見田に強制疎開させられ、ほとんどすべての島民が感染し、この地で亡くなりました。その後帰島が許され戻ったものの島では軍が食糧を根こそぎ持ち去っていたため、さらに凄惨な状況となり結果的に1500人の人口のうち3分の1近くがマラリアで失ってしまいました。このうちには波照間国民学校の学童323人のうちの南風見田で亡くなった66人が含まれています。そして時の学校長であった識名先生が、この悲惨な出来事を忘れないようにと青空学校を開いたこの浜辺の岩に「忘勿石 ハテルマ シキナ」と刻みました。 波照間島にも学童慰霊碑があるのですが、それよりも小学校の塀に卒業記念作品として描かれた「星になった子供たち」の詞が、この哀しい出来事を良く伝えています。
実際に文字の刻まれた石はかなり風化しているものの碑の右横にあるとき聞いていたのですが、残念ながら文字を確認できませんでした。帰ってきて調べてみると碑に向かって右奥下に敷かれた石だそうで、目線の高さで捜していた私はもしかしたらその石に乗っかってしまっていたかもしれません。

  南風見田の浜を後にし、今日からの宿のある高那に向かって車を走らせました。
途中、古見のサキシマスオウノキ群落に立ち寄り、西表野生生物保護センターを見学し、由布島へ渡る水牛車を眺めたりしながら進み、17時前に高那にあるエコヴィレッジ西表に到着しました。
この宿は県道に接した本館の前の海に面した芝生の広がる敷地に客室棟が点在するちょっとしたリゾート感のある宿です。
チェックイン時に夕食について聞かれました。ここの難点は宿のレストランの夕食は和食かイタリアンのコースのみで、ほかに周囲に食事処がなく(あるとすればパイヌマヤリゾートのレストランぐらい)、外で食べる場合は上原か大原まで出かけなければならないことです。
おっさん一人でコースを食べるのも何なので、どうしようかと思っていました。ところがフロントの女性が言うには、ランチで出しているチャンプルー定食かパスタ、オムライスであれば単品で提供可能とのこと。
と言うことで取りあえずこの日はチャンプルー定食をお願いしました。
部屋は本館1階のツインで部屋の前はタイル張りで藤のデッキチェアーが2台置かれていました。
荷物を解き、一休みした後車で上原まで出かけてみました。
宿から上原港までは20キロなく、20分程度で到着しました。 取りあえず一回りしてみることとし、その先で県道をはずれ中野海岸、星砂の浜、月ヶ浜と周り、浦内川の河口にかかる浦内橋まで行き宿へ戻りました。西表島で見た道を歩いているセマルハコガメ 宿へ戻る途中、船浦湾を過ぎて少したった頃、道端に何か落ちているのを発見し通り過ぎるときに気付きました。
カメです。おそらくセマルハコガメ。
車を急停止させ降りて走り戻りました。  するとゆっくりノタノタと道の真ん中近くまで出てきていたカメは走って近づく私に気付き歩みを止めるともと来た方向に向かって猛ダッシュで逃げていきます。
出てくるスピードとは大違いの早さです。
それを追いかけようやく追いつくとカメは草むらに逃げ込んでしまいました。草むらに逃げ込んで硬くなっている姿を写真に収めその場を後にしました。
実は後日また同じように道路に出てきているのを見つけ、今度は逃げられないよう鼻先に回り込み、とっ捕まえていじくり回して遊んだのですが。
写真はその時のものです。
  宿の戻りシャワーを浴びてチャンプルー定食で夕食です。
最初は生ビール、次に泡盛(請福)を飲み、食後は請福の古酒を飲みました。この日は、私以外は全て一つの団体客だったようです。テーブルを長くつなげて賑やかに食事をしていました。
途中支配人(と思われる方)が来て少し話をしていて波照間から来たことを言うと、今日は波照間の芸人を呼んでいて、この後9時ぐらいから三線を聞かせてくれるとのことです。
一旦部屋に戻りましたが9時過ぎに食堂へ行ってみると三線の音が響いていました。
脇のほうの席でまた泡盛を頼んで聴いていたのですが、この芸人、曲と曲の合間には一人漫才のような喋りで楽しませてくれます。喋くりの間にコップに入った液体を時々口にするのですが、中身は水か泡盛か。
本人は泡盛と言っていて、「やはり泡波でないと調子が」とか。
で「泡波あるよ、持って来ようか」と声を掛けると、
「あっ、今日波照間から同じ船で来た人だ」と返してきましたが、大原で何人かは降りたのですが、全く記憶にありませんでした。
長い一日でしたが、こんな書き方をしていては何時までたっても先に進みません。
まだ3日目です。明日分からはもう少し手短に書き進めます。

7月6日。

 この日は一日ボートシュノーケリングのツアーで、途中鳩間島へ立ち寄ります。
9時に上原港でクロスリバーというショップの方と待ち合わせました。 ツアーボートは40フィート以上あるカタラマンでフライイングブリッジを含めデッキが広々としています。同乗者は船長とスタッフ、昨日仲間川で同じ船に乗ったご夫婦と若いカップル(兄弟?)の総勢7名です。 最初は西表島と鳩間島の間に浮かぶ珊瑚の欠片でできたバラス島へいきました。同じようなバラスは台風後の八重干瀬にもできたりするようですが、時間がたつとまた消滅してしまうようです。ここのバラス島は姿や形、大きさを変えながらも消えてしまうことはないようです。西表島中野海岸海中風景着いてみると先客は小船で来ていた1組だけで、のどかな島上を散歩できました。コンビニのレジ袋が配られ、これいっぱいぐらいであれば持ち帰りOKとのことでしたが、荷物が重くなるので遠慮しました。その後シュノーケリング器材と使用方法について説明があり、続いて島の周りで練習なのですが、船長から、ライジャケは着けなくていいから、島の東から北にかけての4,50m沖までの範囲で自由にしていてくださいと声がかかりました。また西側は他のショップの船が入ってくるのでこのボートを回り込んで先に行かないようにと。入ってみると浅く明るい海底に珊瑚が広がっていますが、一昨日のニシ浜やこの後行ったポイントには所全かないません。 バラス島は上陸するところに意味がありました。 次に中野海岸沖のポイントへ行きました。海岸からは7,800mほど沖になり、まわりは40m以上の水深という事ですが、このポイントの辺りだけ盛り上がって浅くなっていているとのことでした。ここでも船長からポイントの方向と泳ぐ範囲、回り方や特徴などについて説明があり、1時間で戻るよう言われ出発でした。入ってみると海岸に向かい珊瑚の根が何本も走っていて、根と根の間は10m以上の切れ込みとなっています。この切れ込みに沿って潜っていくと両側に積み重なる珊瑚の量感が感じられ、また根の上にも十分発達した珊瑚がぎっしりと乗っています。魚の種類数とも先ほどのバラスとは大違いで1時間たっぷり楽しめました。
船から見る鳩間島 港近くまで戻り、船上で八重山そばと西表産の黒紫米のおにぎりで昼食を取りました。
昼食後、半日コースのご夫婦を港まで送り、鳩間島へ向かいました。 鳩間島の港の入口には見事な色の海面が広がり、まさにTVドラマの瑠璃の島のままで、ネットでこのドラマを通しで見た私の脳内ワールドではここは鳩海島です。
  ボートを接岸して上陸し、まずは灯台まで案内してもらいました。
ブラブラ歩いて抜けていく集落はいつ成海璃子が出てきても不思議ではない雰囲気です。灯台からはドラマで瑠璃の家とされた民宿まるだい(入り口のヒンブンは撮影のためのプラスチック製だとか)の前を通って、マンゴーアイスが美味しいと言うゆみさんちへ回りましたが残念ながら休み。
港へ戻り、そこから小一時間は自由散策です。集落内はもとよりドラマの発端となった小学校やヘリポート、海岸沿いの道、集落の先の野っ原の小道など一回りしました。
 鳩間港を出たボートは島の西側へ向かいました。
目指すポイントにはちょうど他のショップのボートが集結していたため、少し離れた場所から入り、ポイントへ向かって流れにのって泳いで行き時間をずらすこととなりました。鳩間島周辺の海中の様子・珊瑚がいっぱいです。
  白砂の海底に点在する珊瑚の根を回りながら途中潜ってみますと海底の砂は星砂です。
それも砂に手を押し付けるといくつかの粒が付いてくると言うようなものではなく、掬い取った一握り全てが星砂です。
  着いたポイントは様々な色の珊瑚が一面に広がるお花畑状態の珊瑚の根でした。残念ながら干潮時で、その上を横切ることはできませんでしたが、この美しさは半端ではありません。
上原へは4時過ぎに帰港し、一旦宿へ戻り器材を洗って干し、シャワーを浴びてから夕食をとりに再び上原へ。夕食はキッチンタマゴでしょうが焼き定食でした。
  食事後7時過ぎで夕暮れ時だったので夕日を見に宇那利崎へいってみました。
宇那利崎への道は先に行くほど狭くなり、ついには両側の茂みに車体をこするほどで、路面は一応舗装されていますがかなり痛んでいて、あちこちに穴が開いています。
慎重に車を進め行き止まりまで行くと前には神秘の黒真珠展示館と書かれた大きな廃墟があり、周辺にも他にいくつかの廃墟が残っています。
  小高くなった丘に上がり海を見るとちょうど西が開けていて、確かに夕日を眺めるには良い場所です。
残念ながら西の水平線上には雲が出ていました。
ニシ浜のときのように最後に雲の下の切れ目から差し込む夕日を期待したのですが、そのまま日没。
夕焼雲が綺麗でした。
途中スーパー川満に寄り買い物をしてから宿に戻り、アイスペールをもらい部屋の前のデッキチェアーで星を眺めながら飲みました。
この日もよく星が出て、天の川が綺麗に見えました。

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