Y氏の加計呂麻島レポート 投稿者:Y氏@奄美大島 -2010/09/23(Thu) 21:25 No.6106

加計呂麻島へ

 奄美大島の加計呂麻島へ向かうことにした。 前掲の二度の奄美大島への取材では大島海峡を挟む島の向かい側の古仁屋の街までは行ったのだが、取材目的が違う為、島に渡らずじまいだった。
  那覇を早朝の07:00発の鹿児島行きのフェリーに乗る。
那覇から沖縄本島北部の本部港に寄り、鹿児島県の与論島→沖永良部島→徳之島のそれぞれに立ち寄った後、奄美大島へ立ち寄る。
日中に奄美の島々を巡ったフェリーも徳之島を過ぎ、奄美の島々が近付くと南西諸島を暮色が包むように日が暮れようとしている。
加計呂間島の上に上る月フェリーからの夕景徳之島付近のフェリーからの景色

加計呂麻島と与路島の間に月が昇った。
反対側の徳之島の先は見事なサンセットだ。 太陽が丸い形のまま沈んでいった。
溜息しか出ない光景だった。

ふと見ると、同じく奄美大島を目指す同じAラインのフェリーが横は並走している。 お〜いっ!って手を振りそうになるほど、ぴったりと横を付いている。 幻想的な夕景だと思った。
このゆったりとした感じが船旅の良さでもある。
奄美の鶏飯
 名瀬に20:30に着いて、宿へ荷物を預ける。
名瀬の夜の中心街の屋仁川の馴染みの居酒屋へ向かった。
ここは取材で名瀬に泊まる度にお世話になっているお店だ。
 奄美と言えば、名物の鶏飯。 これを食わずして奄美に来たとは言えない。
相変わらずの美味さに納得の味だ。
奄美の黒糖焼酎
もう一つ。
奄美と言えば、黒糖焼酎でもある。
地産池消。
奄美の鶏飯を食した後は奄美特産の黒糖焼酎だ。
これは「毎回、うちに来て頂いているので、サービスです」とお店から御馳走になった銘酒だ。

サービスしてもらったチヌのサシミ


  そろそろお店を出て宿に戻ろうかと思案していると、お店の従業員が
「知り合いが釣りで予想外に釣れたチヌの刺身です。これもどうぞサーブスですので」とまたまた御馳走になった。
名瀬の夜も深夜になろうとしている。
早朝に起きてフェリーに乗り込んださすがの僕も眠気が襲ってきた。 そろそろ、宿へ戻ろう。
  奄美大島の南部の古仁屋の街へ路線バスで向かうので明日も早起きしないといけない。
お店の方達にお礼を言って深夜の飲み屋街を抜けて宿へと戻る。


Re: 加計呂麻島へ Rumina - 2010/09/23(Thu) 21:31 No.6109
  Y氏こんばんは わ〜〜素晴らしい光景が胸を打ちますね
私は八重山その他沖縄が卒業できません 与論島も行ったことないのです。
いつになれば〜〜〜
那覇&本部から出てるのですね。 舟は時間がかかるので苦手ですが 一応専業主婦だからあまり長期間家出すると怒られそうで?主婦業が全く出来ないから

RumY氏@奄美大島 - 2010/09/23(Thu) 21:50 No.6114
inaさん、古仁屋から加計呂麻島へは定期便のフェリーの他に、水上タクシーや水上の乗り合いバスがあるんです。 島の海沿いの道通りにある各集落を巡り、商店がない集落が多く、ハブ除けの竹の棒が普通に立て掛けてあり、まったく人気や音のない多くの集落。 美しい夕日と朝日と時間が止まったような島の風景。 そんなどこの島にもない光景や雰囲気を日記形式でアップ出来ればと思います。 おそらく日本に残された昭和の40年代で止まっているような島の空気に圧倒された自分の感覚が伝えらたら最高でしょうが。 時間が止まった島とはまさしくこの島のことでしょう。

Re: 加計呂麻島へ Rumina - 2010/09/23(Thu) 21:57 No.6115
Y氏定期便のフェリーのほかにも水上タクシーがあるのですね 。
時間が止まったような島の風景は格別ですね。 日記形式のUPなるほど こくこくとUPされる様子を眺めていました?
来年後半計画できればよいのですが その節は是非参考にさせてくださいね



名瀬からの連絡船
 名瀬の宿で、早朝の05:30に起きる。
奄美大島の中心地の名瀬から古仁屋まで路線バスで移動する為だ。
バス停で待っていると時間通りに路線バスがやってきた。 バスには定年退職された風のご夫婦に一人のおばちゃんが乗っている。 路線バスは各乗降りの停留所を次々に過ぎながら進んでいく。
  やがて名瀬を抜け、長いトンネルを過ぎると、マングローブで有名な住用地区に入る。
  僕は取材の為、以前に二度、レンタカーでこの道を走っているので懐かしい風景だ。 川沿いの道を抜け、やがてマングローブの森が見えてきた。
沖縄でもマングローブの林はあるが、これは森だ。凄い圧倒的な量だ。

 暫く走って幾つかの集落を抜けると、長くクネクネとうねりアップダウンの多い峠へ向かう道になる。
長い上りが終わると、遥か向こうに大島海峡の海が見える。後は同じようにうねうねとした長い下りだ。
海沿いの道へ出ると瀬戸内町の集落を二つほど過ぎると古仁屋のある街へと出る。 終点でバスは止まり、フェリーターミナルへ入ると、加計呂麻島の二つの港のうちの瀬相行きは14:00発だ。
今は10:30を回ったところなので 3時間以上も待たされるのは辛い。 まるで漁船の様な小さなものからやや大きめのクルーザータイプの船まで各種様々な船が水上タクシーや水上の乗り合いバスの様に運行されている水上タクシー乗り場へ向かった。 すると、12:00と13:00に乗り合いの水上バスが出ると言う。
  水上タクシーだと2500円も取られるが水上バスだとフェリーと同じ350円だ。 もちろん、全て民間の船で運用されている。おそらくは以前は漁師をしていた人達に違いないだろう。 さっそく荷物をフェリーターミナルから移動し、時間が来るのを待つ。
一緒にベンチに座って出港を待つおじさん達が僕に話しかけてくる。
やれ、「何処に行くや〜?」 「何処に泊まるや〜?」
「スリ浜に行きます」
「なら、水上タクシーでスリ浜まで行くのが早いし良いや〜」
「あっ、いえ、レンタカーを借りて島内を回るので」
「なら、仕方ないや〜」
一人旅ならではで、気軽に話しかけられるし、こちらも気軽に接することが出来る。
やがて出港時間になり乗り合いの水上バスに続々とおじぃやおばぁが並んで乗り込む。
操縦席を見ると、なんと僕に水上タクシーをやたらに勧めたおじさんだった。
加計呂間島への水上バス水上バスはスピードをぐんぐんと増しながら、一路、瀬相港を目指して進む。波をけってとはこのことだ。
海面と目線が非常に近いので迫力がある。 僅か15分〜20分ほどで瀬相港に着く。
  前日に予約したレンタカー屋を目指して、重い荷物(カメラ3台、三脚、ノートパソコン、フィンなどのシュノーケル3点セットなど)を持って強烈な日差しの中を歩く。
しかし地図で確認した辺りに来たが、それらしき看板はない。 荷物を置いて歩き回るがやはり見当たらない。
雑貨屋さんがあったのでぼーっとして立っているとお店から出てきたおばちゃんは、一緒に水上バスに乗っていた人だ。 レンタカー屋さんを聞くと、
「あ〜、そこよ」と指さす。 「えっ?」  指さされた先には自動車の板金屋があるだけだ。
まさか、ここかと思ったが、やっぱりそうだった。
離島によく有り勝ちな中古自動車販売業がレンタカー屋ををやるのと同じだ。 加計呂間島の海岸

 軽自動車を借りて、島の最西端の集落である実久集落へ車を走らせる。 坂道が延々と続く。カーブの連続だ。アクセルを踏んだかと思うとブレーキを踏むの連続で気が休まらない。
幾つかの小さな集落を過ぎていく。
あまりに小さな集落が続くが、どの集落もひっそりとしている。 海はどこからどう見ても美しい。 右手に奄美大島の南部の瀬戸内町の山並みと大島海峡を望みながらのドライブだ。
  薩川集落に来て初めて商店を見た。 そう言えば、今までの集落に比べて少し大きいかな。 いや、大した違いはない。
やがて山を上り、ゆるゆると右に左にハンドルを切りながら山道を下りていくと青く輝く海が樹林の間から垣間見える。 最後のカーブを曲がると家々が少しずつ見えてきて実久集落へと入る。
ここからは人が歩く速度に近いスピードで進む。 海岸沿いの道に車を停められるスペースには先客のバイクと車がある。 堤防の方から海を望むと二人ほどが泳いでいるのが見えた。
バイクの持ち主らしい若い男性がやってきた。バイクのナンバーを見ると横浜ナンバーだ。
海の状況やバイクの話を少々した後、自分も一潜りしてみた。ここは大島海峡側に国定海中公園がある。
噂ではサンゴが発達していると聞いたが、実際に海に入ってみると、悲しくなるほど、海底にはサンゴの死骸が一面に広がっている。
これが生きている時にはどれだけのサンゴの群生があったのだろうと信じられない思いになるほどだ。
加計呂間島の海と島影

少し切ない気持になりながら砂浜に戻り、フィンやゴーグルなどを水洗いし、乾かしながら泳いだ人や風景を見ながら時間を過ごす。 海中は切なかったけど、風景は実に素晴しい。
真夏のような強い日差しがじりじりと肌を焼いていく。 そうだ。ここは奄美の南の島だ。 空気がきれいな分、日差しも強いのだ。
加計呂間島の静かな道写真撮影で集落の中を歩くが、海水浴客相手のおばちゃんとおじちゃん以外には人の気配がない。
加計呂麻島のどの集落でもそうだったが、やはりこの集落でも人がいるの? と思うほど、シーンと静まり返っている。と言うか物音がまったくしないのだ。
波の音とセミの鳴き声と風が樹木を吹き立てる音だけだ。 やはり、この集落にも商店がない。
  しょうがない、この海水浴客相手のお店の自動販売機で喉を潤すか。
加計呂麻島の各集落を回ると、ちょっと不思議な気になるのだが、どの集落にも売店が見当たらないのだ。
  幾つかの集落が海岸沿いにある中で比較的に大き目な集落だけに一軒だけあったりするが、それでもほとんど皆無に等しい。 いったい、島の人達はどうやって生活の糧を仕入れているのだろう?
  不思議な感覚に包まれる。 だが、困るのは旅人も同じだ。少しお腹が空いたり、喉が渇いた時に実に困るのだ。 今度、この島を訪れる時はあらかじめ少々な軽食と飲み物を奄美大島の古仁屋で購入しておいた方が良さそうだ。
  写真に竹の棒が立てかけてあるのが分かると思うが、これはどの集落でも普通に見られる光景である。
何に使うと言うと、ハブ除けなのだ。 僕は鹿児島市の高校時代にクラスメイトに徳之島から来ている子がいて、夜とかに竹の棒で地面を叩いて、ハブを驚かして近寄らせないようにするとその子から聞いたことがある。
なので、見て「ははーん」とピンと来た。 さて強烈な日差しと海風で濡れた水着も乾いてきた。
今度は一路、東を目指して、自分が宿泊するスリ浜の方へ一気に行くのだ。
加計呂間島の集落 そうそう、この軽自動車のレンタカーを借りた時のことだが、お店と言うか板金屋のおばちゃんが、
「満タンで返してね」 「は〜い、了解っす」 で、キーを差し込んで回すと、キュルルルッ・キュルルルッと音を立てるが一向にエンジンがかからない。
自宅に引っ込んだおばちゃんを呼ぶべく、普段は出さない大声で 「すんませーん!!」 を連発すると、さっきのおばちゃんが自宅の二階の窓から何?と顔を出す。
「すんませーん! エンジンがかかんないんですけど!」
慌てて家から出てきて、おばちゃんもキーを回してみると、 「あれっ、バッテリーが上ってるね〜」 「悪いけど、隣の車と乗り換えてね。直して夕方にでも宿に持って行って換えるから」 と普段、生活用に使っている車を指し示す。
怒らない・怒らない。  こんな辺鄙な島では何があっても不思議ではない。
集落の家並み
  さて、実久集落から山を越えて薩川湾沿いの立つ薩川小中学校の前に道路が延びている。 車を停めて学校の雰囲気を撮影する。
ガジュマルの木が雰囲気を醸し出す。 静かな集落の間を走る道をゆるゆるとのっそりと車を進める。
ここでは何も慌てる必要はない。すべてがゆったりまったりのスローペースで良いのだ。
 奄美大島の南部の瀬戸内町から大和村にかけては、山が深く、海沿いの集落と集落の間を大きくアップダウンし右へ左へとカーブが連続して続く。 この加計呂麻島もそうだ。山が深い。
海沿いに点々と小さな集落が続いている。 この集落では生垣が現代風なセメントブロックになっている。
押角集落の豊年祭りこれは、長持ちするからと言う理由で島に持ち込まれたのだが、意外にももろく、今になって、昔ながらのサンゴの石積みが復活しつつある。

  海沿いの道をひたすら走って幾つかの集落を抜けて、押角と言う集落に入った。 今日は奄美大島の各地で豊年祭が行われている。
奄美大島は昔から相撲が盛んだ。
どの集落にも公民館の前には相撲の土俵がある。
この加計呂麻島も同じく、大概の集落の公民館の前に土俵がある。
この集落では「虎踊り」というものが奉納されると言う。
見てみたいが18:00からだ。日が暮れる前に宿に着きたい。
残念だが先を進めることにした。

加計呂間島の海沿いの道から見た海 集落からは大島海峡を挟んで古仁屋の街並が見える。 都会から見たら、ひなびた小さな街の古仁屋でさえ、この加計呂麻島の各集落から見たら大都会に見えるほどだ。
 加計呂麻島の集落はどこもこんな感じで、海沿いの道の先に小さな集落が点在している。

  この集落はいくら地図を見ても名前のない集落だった。 戸数は僅か10数戸だろうか。
  加計呂麻島では滅多に対向車とすれ違わないが、車が一台だけしか走れない狭い道が多いので、たまにカーブで対向車と真正面でぶつかりそうになる度に冷や汗が出る。
道の向こうに路線バスなどが見えるとあらかじめ対向車が通れるように避退所に車を停めて待ったりする必要もあるのだ。
そう、この島では島のおじぃ並の時速20kmぐらいのスピードで車を走らせるのが正解なのだろう。
慎重に車を走らせる必要性がある。どうも内地の人間はせっかちでいけない。
山道も非常にカーブのRがきついのでスピードが出過ぎているとオーバーしそうになるほどだ。
40kmでもまるで80kmを出しているぐらいの感覚になるほど道が狭く180度にカーブしている。
廃村っぽい集落ゆっくりとゆっくりとを自分に言い聞かせて運転させるのだ。
 この無名の集落を少し歩いてみると、人の住んでいない家も見受けられる。 不便を嫌って島を出て行ったのであろうか。
いずれ、この集落も廃村になるのかも知れない。
人の気配を感じない集落だが、それでも台所の窓が開いている家もある。
少し心にこの名前のない集落を刻んでおこうと思った。

海のすぐ傍にある家島のどの集落でもそうだが、家のすぐ向かいに道路を挟んで海がある。
何とも言えない風情がこの島にはある。
波の音を聞きながら夜を過ごすのだろう。 波の音しか聞こえない島の集落。

想像するだけでも儚さを感じてしまう。
加計呂麻島の特徴を現わす集落の姿だ。
ハブ避け棒

島の大概の集落にはこんなハブ除けの竹の棒が生垣に立て掛けてある。
僕らからすると怖いと感じるが、これも島の暮らしの風景なのだろう。
あともう少しで今夜のお宿がある所へ着く。
慎重に車を走らせるだけだ。

スリ浜翌朝、05:30頃に宿を出て、宿の向いにあるスリ浜へ行き朝日の写真を撮影する。

太陽が顔を出す前の静かなひと時だ。
うっすらと光が海面を照らす。
心が落ち着く一時だ。


加計呂間島のスリ浜での日の出

日の出2  それは突然だった。
空が瞬間、赤く輝いたと思った時に、太陽がいきなりと言った感じで顔を出した。 するするっと昇り出す。
眩しくて目をまともに開けていられないほどの輝き。
波間に赤い光が射し込んで、海面が一様に真赤に染まる。

この荘厳な光景には言葉などは要らないだろう。
ただ見ているだけで良い。

  今日は宿を出た後は、国の重要無形文化財になっている諸鈍シバヤの踊りで知られる諸鈍などの東端の集落を訪ねることにする。
加計呂間島の渡連集落へ スリ浜の宿を出発し、加計呂麻島のもう一つの港である、生間港を経由して渡連集落へと向かう。
瀬相港もそうだが、一般的に港町と言うと賑やかで人出が多いイメージがある。
  ところが、加計呂麻島のこの両方の港は、質素な待合所とガソリンスタンドと駐車場だけしかない。
そう、港町のイメージを覆すほど、な〜んにもない。
そうである、な〜んにもないんである。見事に・・・・・・・
売店もお土産屋、食堂すらない。 少しだけ近辺に民家とレンタカー屋らしきものが存在するだけだ。
大島海峡
  そんな港をあとにして集落を目指す。
渡連集落に入ると細い道が集落内を通っている。 車をゆっくりと進ませ、空き地に停めて集落を散歩する。
民家の間の道の先には大島海峡の海だけが広がっている。 見事なほどの単純な世界なのだ。
集落内の何処からでも大島海峡の海が見える。
直に海と接する生活の場がここにある。
島暮らしの本領を垣間見た思いを感じた。

海岸の様子 渡連集落から一旦、生間港の方へ戻り、そこから山を越えて諸鈍集落を抜けて、徳浜へ向かう。
徳浜は見事なサンゴと魚の海が素晴らしいと聞く。
だが、この集落へと向かう道は今まで以上に険しい山道だ。 山道なら幾らでも来んしゃい!と博多弁風に言うなればそれほど、加計呂麻島の道は険しいということだ。
あまりのカーブの連続とアップダウンの連続。
しかもカーブの半径が小さく、それが次から次へと連続する。 常に右足をブレーキペダルへ踏み変えられるように準備して構えておく必要がる。 だんだん、右足がピクピクと吊りそうになる。
「あっ、右足が、やっ、やばい・・・・・」 たかだが集落へ行くのに何故にこんな苦行をする必要があるのか。
南無阿弥陀仏・・・・・・・・・・  しかし死にたくなければここは我慢して苦行に耐えねばならぬ。
時折、道には崖崩れで岩が崩壊して転がっている。 やはり簡単にはいかない。

 「シマ唄」と言うものがある。人によってはとある某バンドの歌だと思う人もいれば、とある人は沖縄の民謡のことだと理解する人もいる。 だが、どれも間違いだ。
この加計呂麻島を含む奄美大島南部の瀬戸内町や宇検村・大和村は実に山深い村々で、各集落は独立しており、道はあまりに険しく行き通うことは殆ど出来なかった。  実際には隣の集落同士は船で行き来するしかなかったのだ。 それほどだから、各集落毎に島口(シマ言葉)が発達し、当然、同じ民謡でもシマ=集落毎によって唄い方が違ってきた。
シマ=集落で唄い方が違うからシマ唄と言うのである。
これが奄美で伝えられる本来の意味のシマ唄なのである。

 仏教僧や修行僧のような苦行とも思えるほどの張り詰めた緊張感と筋肉の張りに耐え、いや、F1レーサーデビューも真近いかと思わせるほどのコーナーや障害物を切り抜け、なんとか徳浜に辿り着いた。
セミがビーン・ビーンと気高く鳴く林を抜け、集落を歩いて回るが、集落と呼ぶには戸数が少ない。
  ふと墓地が目に入った。 「○○家の墓」という墓石の中に「○○おばぁの墓」という墓石を見つけた。
正直、見付けた瞬間、信じられなかった。 こんな墓石が現実にあるなんて。 よくよく墓石を見てみると「大正7年没」と記してある。 この○○おばぁは一体、どんなおばぁだったのか。 非常に興味が湧く。
調べてみたい気になる。 だが、当時は知る人は現世にはいるまい。
写真はとても不敬だと思い、遠慮しました。
諸鈍集落 苦行も何やらで、行きも辛いが帰り辛い山道を抜け、徳浜から諸鈍へ向かう。 そうか、徳浜は徳を積んだ人間でないと苦行が待ち受けてるのねん・・・・・・ 
とすっかり修行僧気分だったが、次は重要無形文化財の踊りとして有名な「諸鈍シバヤ」で有名な諸鈍集落へと向かう。
  この集落は大島海峡とは反対側の与路島と請島側の海に面した集落だ。 そもそも諸鈍シバヤとは、源平合戦で敗れた平氏の平資盛がこの加計呂麻島まで逃げ落ち、この集落の村民達との交流の為、京の都に伝わる舞を伝えたのが始めとされる。 だが、今のこの踊りは粗末な白と黒の麻の衣装に紙で出来たお面とクバの葉で出来た傘を被り、チジンなどの鐘や太鼓に合わせて踊る極、原始的で簡素な踊りである。
これほどまでに簡素で原始的だからこそ、本来の古の雰囲気が残っていて感銘を与えるのかもしれない。
車を停めて、諸鈍の集落内を歩く。実に道と家々が狭い。
一人のおばさんがすたすたと集落内を歩いて行く。 だが集落内の垣根も緑鮮やかで美しく、さっと匂い立つよ諸鈍集落での風景うな風情があった。
 諸鈍集落と言えば、海沿いの堤防際にデイゴの木々が続くことで有名だ。 5月〜6月になると、真っ赤に染まるデイゴの花で燃え立つように色めき、道も落ちたデイゴの花で深紅の絨毯のように真っ赤に染まる。
海軍の特攻艇基地などの戦跡以外には何の観光名所もない加計呂麻島では、ここが唯一のスポットと言えるかも知れない。
 堤防沿いで集落のおじぃと男性が座り込んで話をしている。 海風が気持ち好さそうだ。
諸鈍集落の静かな様子今年は10月10日に重要無形文化財の諸鈍シバヤが行われる。 フェリーも臨時便を出すそうだ。 見に行ってみたいものだと思う。 また、デイゴの花が咲く季節に来てみたいとも思った。

  おじぃもそろそろ作業に戻る頃合いだ。
さて、僕もそろそろ奄美大島の名瀬へ戻る為、港へ戻らないといけない。 諸鈍集落に別れを告げる時だ。
集落を歩いていると、移動販売車と会った。 島には殆ど商店と言うものを見かけない。やはり、移動販売車が重要な生活物資の入手の手段になっているのだと実感した。
 瀬相集落に着いて、レンタカーを返した。
おばちゃんが 「港まで送ってあげようか」 と言う。だが港まで徒歩で3分の距離だ。
「う〜んどうしようかな・・・・・・」
「だったら、この車(自宅用)で港まで行って、待合所の裏にキーをつけっ放しで置いておいて構わないよ」
と言う。  やはり荷物が異常に重いので車で港の待合所まで運んで車をお店に返すことにした。
島の人はあまり歩かない。車での生活に慣れきっているからだろう。
フェリーかけろま券売所  車を返して港へ歩いて帰り、待合所で久々の缶ビールを買った。待合所には僅かだが缶ビールやジュースの飲料水にアイスクリームやカップ麺などが申し訳なさそうに置いてある。 他にも良く分からないお土産品に女性物のワンピースだかなんだかが掛けてある。
  券売所の窓口で缶ビールを購入していると、待合所の入り口で70代らしきおじいさんが、 「○○子〜」 と盛んに中に向かって呼びかけている。 缶ビールをベンチに座って見ていると、券売所のおねえさん、いや、おばさんが出て行って、 「あんちゃん、2時過ぎでないと村内バスは出ないから待つしかないよ〜」 と答えている。 どうやら兄と妹の間柄らしい。

港での待合室おじいさんは、完全なシマ口で、まったくもって何を言っているのか分からない。
「○▽×□○△×○や〜」 てな調子である。 一緒にベンチに座ってる券売所の妹さんらしいおねえさん、いやもとい、おばさんはほぼ標準語だがやたら大声で喋っている。 おそらく、あのおじいさんは耳が遠いのだろう。 会話が見えないが、おばさんの返事から察して、どうやら古仁屋から戻ってきたおじいさんは無料の村営バスで集落の自宅に帰るようだが、フェリーが来る14:00過ぎまではバスも来ないので待合所で待つしかないようなのだ。
断片的に聞こえてくる言葉で、おじいさんは昨日、僕も行った実久集落に住んでるようだ。
缶ビールを飲んでるうちに、疲れが出たらしく、つい、うとうとと眠ってしまった。

待合室の様子2  ふっと眼が覚めると、目の前の窓に南国らしい植物の葉っぱが青空の中に浮かんで見えた。
意識が戻ると、おじいさんの声が聞こえる。 ベンチの方を見ると、相変わらず、おじいさんとおばさんが二人で会話をしている。 それ以外に人の出入りがないんである。
いつの間にか、おじいさんはカップラーメンを食べていた。 「美味しいね」 という意味の会話が聞こえてきた。 「あんちゃん、それ、お金を出して買ったんだから、全部、食べないといけないよ」
「お腹いっぱいや〜、食べれ」
「あんちゃん、ダメや〜、食べないと!」
また、うとうとしてしまった。 目が覚めて、何気に見回すと、おばさんがカップラーメンを食べている。
「あんちゃん、美味しいね〜」
「うん、美味しいや〜」
子供がやってきた。釣り道具を持っている。どうやらこのおばさんの子供さんらしい。 都会と違って遊び場所のない島。 釣りならいくらでも出来る。
自然相手が唯一の遊び場所だ。
村営バス 村営バスが待合所の前に来て止まった。
券売所のおばさんがお兄さんらしいおじいさんの手を引いてバスの入り口へ連れて行く。 おじいさんは足が悪いらしく、よたよたと歩いて行く。 おばさんはバスの運転手さんと一言・二言と言葉をかけている。
おそらく「○○集落で降ろしてね」とでも言っているのだろう。
そろそろフェリーかけろまが港へやってくる頃合いだ。
このフェリーかけろまは一隻だけで、島の瀬相と生間の両方の港へ運航している。
フェリーかけろまだから、どちらかにどうしても空き時間が出来てしまう。 その不便性を補う為に、民間の乗り合いの水上バスや水上タクシーが出来たのだろう。
  だが、2時間ぐらいをぼーっとして過ごすのもひなびた離島らしさがあって、それはそれで良いのかもしれない。 慌ただしい都会生活では味わえないのんびりとした過ごし方が出来るからだ。

フェリーかけろまに乗り、古仁屋の街を目指す。 古仁屋に着くと、今までの加計呂麻島の静まり返った雰囲気とはまるで違い、慌フェリーターミナルの建物ただしい雰囲気がする。 それでも人口も僅かな小さな小さな漁港に過ぎないのだが。

 フェリーターミナルになっているこの建物で、名瀬行きのバスが来るのを待つ。 この建物には発券所の他、お土産屋に食堂に海鮮物の販売所まである。
建物の周辺はずっと奄美民謡が流れている。 食堂も売店もほぼ無く、自販機も港周辺ぐらいにしかない、とにかく何もなくて人をあまり見かけることも少ない辺鄙な加計呂麻島から古仁屋に戻ってくると、こんなひなびて静かな漁港の街でさえもが、
「あっ、コンビニがある」 「あっ、薬局がある。」
「あっ、銀行がある。それに教会まで。スーパーみたいなのんもある」
と、まるで過疎の村から大都会に出てきたみたいに、辺鄙な漁港が大都会に見えてしょうがない。
路線バスに乗り、一路、名瀬に向かう。

イメージ写真  最後に記しますが、加計呂麻島は、本当に何にもない島で、不便ささえ感じるほどです。
ただ、実際に島に行って過ごしてみて、加計呂麻島は、「時間の止まった島」であることを実感します。
日本最南端の波照間島や日本最西端の与那国島も、また、殆ど観光客の来ない粟国島なども、いかにもひなびた辺鄙な離島ではあるけど、それでも現代の島だし、どの島にも観光名所があって、人々は海中遺跡を楽しんだり星空観測タワーで満天の星空を講釈を受けながら楽しめる。
そして、集落には複数の商店やレンタカー屋さんがあり自販機も普通にあって、地元の人間にしろ旅人にしろ何の不自由さを感じることはない。

  だが、加計呂麻島は不自由さを身に染みて感じる。
普段、簡単に手に入れられる食べ物や飲み物もこの島ではひょいと手に入れるのは難しい。
自然も手つかずで車も一台しか通れなく、集落の雰囲気もまるで、昭和30年代の後半や昭和40年代の雰囲気をそっくりそのまま残していて、やはり時間が止まったまま残っている島だとの思いを強くする。
だから、決して一般の観光客にお勧めすることは出来ない。
観光地も殆どなく、ただゆったりとした時間に身を任す術を知っている人だけが楽しめるからだ。
そして、不便で不自由な環境に文句を言わずに過ごせることが求められる。 上とこの写真は帰りのフェリーで夕刻の慶良間方面に沈むサンセットを撮影したものです。
加計呂間島の夕景2
Re: 加計呂麻島へ ナナ - 2010/09/26(Sun) 15:08 No.6159
 Yさん、奄美、加計呂麻島紀行見て読んでたっぷり楽しませてもらいました。
8月に行ったばかりだけどとても懐かしい。またすぐ行きたい気分です。
あの時が止まったような空間は形容しがたいです。 港から出るバスに乗ってみたのですが、運転手さんは交通機関としての仕事だけでなく新聞、郵便を集落に届けたりお買い物代行(?)でお弁当を届けたりもしていました。 あ〜行きたい!

Re: 加計呂麻島へ Y氏@那覇 - 2010/09/26(Sun) 16:29 No.6160
ナナさん、昨日の夜、那覇に戻ってきて、今日は那覇のジュンク堂でカメラ雑誌の月刊誌やサッカーの週刊誌を読んでいました。 普通に読みたい物が読めて、飲みたい物が飲める。こんな生活が出来る有難さを思い知りました。
のんびり出来て人間らしさのある暮らしも良いですが、自分には加計呂麻島で暮らすのは辛いと思います。
やはりたまに行くから良いんでしょうね。
そう言えば、ナナさんが情報掲示板にやんばるで「ユタに注意」の看板があった書かれていました。
自分は奄美の写真史を見ていて、昭和30年頃、奄美のユタさんが奥深い山や川でユタとしての精神を修練する光景の写真を見て、やはり沖縄のやんばるでもそう言うユタさんの修練場があるのではないでしょうか。

Re: 加計呂麻島へ ナナ - 2010/09/26(Sun) 17:20 No.6162
加計呂麻から古仁屋に来ると都会に来た〜!っていう感じですよね。そして更に那覇ならなおさら。
私も加計呂麻で暮らすのは厳しいです^^ 感嘆したけれど「住まう」という意識は生まれなかったかな…
ユタの件。奄美にしても沖縄にしても山深いところはいるだけで神聖な気持ちにさせられますものね。
暗闇とか人里離れた山とか。「畏怖」するもの。失くしてはいけないものの一つですね。
でも時代の移り変わりで難しくなっていくのでしょうか?

Re: 加計呂麻島へ Y氏@那覇 - 2010/09/26(Sun) 17:49 No.6163
実は自分の知り合いの女の子で加計呂麻島に移住した子がいます。 内地から沖縄にやって来て、那覇で暮らしながら沖縄のツアーガイドの仕事をしていました。 リ
ーマンショックで仕事が無くなる前に辞めて、結婚した旦那と一緒にやんばるで酵母から作る自家製のパン販売をやっていましたが、その後、加計呂麻島へ移住しました。
共通の知り合いが去年、島へ会いに行ったのですが、家ではお風呂が五右衛門風呂だったらしいです。
聞くと、やはり生活は大変で夫婦で製塩工場やガソリンスタンドでアルバイトをしながらカフェを開店する準備をしていたらしいです。 確かに、その子も一風変わった子で、元々、自然派志向の強い性格でやはり、ちょっと変わったところがないとあんな島では暮らして行けないだろうなと思います。
知り合いがその子に 「こんな何にもない島で暮らしていて辛くない?」 と聞くと
「ぜ〜んぜん。逆に毎日が忙しくて大変」 と答えたらしいです。
何にもない島だから、逆に何でも自分達でしないといけない。 壊れたら、業者なんて呼べないから自分達の手で直す。 生活すること自体が自給自足みたいなもので、の〜んびりとしているようで、日々が戦いの連続みたいなところもあるようです。
最近、島に内地からの移住者も少しずつ増えているようです。 カフェやペンションなど。
ただ憧れと違って現実は厳しいでしょうね。
ユタさんは霊力を高めるだけでなくやはり色んな事が見えたり聞こえたりするので、自己をコントロールする精神的な高みを修練するようです。 場合によっては数か月に及ぶ修練が行われるとも聞きます。

Re: 加計呂麻島へ ナイチャー小林 - 2010/09/28(Tue) 12:21 No.6165
いつもレポ感謝です。
加計呂麻島、なんだか行ってみたくなりました。 写真を拝見すると、空気の透明感が沖縄よりも良さそうですね。 以前の沖縄が失いかけているものをまだ大切にしている島のように感じます。
このレポートも、番外編としてサイトに残させていただこうかと思っていますがよろしいでしょうか?

Re: 加計呂麻島へ Y氏@那覇 - 2010/09/28(Tue) 16:18 No.6166
小林さん、こんにちは。 昨日と今日は二日連続で真栄田岬へシュノーケリングに行ってきました。
しかし、青の洞窟ツアーで激込みでしたが。少し波があったけど透明度は抜群に良かったです。
加計呂麻島ですが、現代の日本が失ったものがあるのを痛感させられるところがあります。 それが何なのか、何にもない不便さから逆に見えてくる部分があるかも知れません。
もしかするとトカラ列島の島々と共通する部分があるかも知れませんね。
一度、行かれてみるのも良いのではないでしょうか。 30年〜40年前にタイムトリップしたような感覚に襲われると思います。 サイトの方に残して頂くのは一向に構いませんよ。

Re: 加計呂麻島へ コアラ - 2010/09/29(Wed) 21:47 No.6171
う〜ん。加計呂麻島は私にとって「聖地」なのですよ。
今から35年前に島尾敏雄の小説を読むににあたり、奥さんの島尾ミホ(加計呂麻島出身)の著書を読んで南島への憧憬が高まって、でもそれ以来訪ねることができない。与論島や西表島、宮古島に何度通っても、つまりは周辺をなぞっていても、加計呂麻島には足を踏み入れられなかった。
これは来年は行くしかないかな?怖いな〜。
島尾ミホが書いていた素晴らしいシマの人間関係や優しさが変容していたら。 でも今しかないよね。

Re: 加計呂麻島へ Y氏@那覇 - 2010/09/30(Thu) 14:44 No.6172
コアラさん、加計呂麻島は奄美民謡を聞いたりする中で、特別な場所の一つでもありました。
特に鹿児島在住者でも知らない人間も多く、いつかは行こうと自分も思っていた場所です。
ただ、ここまで何にもない土地だとは思ってもみませんでしたが。

Re: 加計呂麻島へ Rumina - 2010/10/02(Sat) 09:49 No.6186
Y氏おはようございます 。
えっつ27日28日 29日ルネッサンスのサンセットクルーズで真栄田岬近辺まで、残念ながらサンセットは眺めることが出来ませんでしたが何とか雨が降らずに済み最後まで舟がUターンすることなく楽しめました。
サンセットが眺めることが出来なければ気分は朝のクルーズがいいかも 。

Re: 加計呂麻島へ ナナ - 2010/10/02(Sat) 13:27 No.6190
コアラさん、大丈夫です。加計呂麻島はあなたを待っていてくれます^^
何十年も恋焦がれている人を裏切りません。呑の浦も押角集落も風情あふれる佇まいでコアラさんを迎えてくれることでしょう。 名瀬に島尾敏雄が洗礼を受けたと言う教会がありますよ。
こちらも行かれるといいと思います。とても素敵な教会でした。

管理人: 厳密に言ったら現在の行政区分では、加島呂間島は沖縄県ではありません。
しかし同様の文化圏ではありますし、Y氏のレポートを拝見すると沖縄の無くしてしまった、もしくは無くなりかけている素晴らしい部分をとてもしっかり継承している島だと感じましたので、お願いして掲載させていただきました。
 私も時間が取れたら、念願の小宝島とともにこの島にも行って見られたらと思っています。


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