ice-manさんのレポート 投稿者:ken


沖縄旅行の理由 ーなぜ沖縄なのか?ー 一言に言ってしまえば「沖縄に行ってみたいから」と言うことだが、では何をやるのかというとそれも未定。 
何か沖縄に行ってするとか、どこか特別な所を観光してくるわけでもない。
しかし自分の中ではなぜか特別な場所=それが沖縄である。
私の中で沖縄と言うと、どこか異国情緒あふれている所から「一つの国」として認識している。 今でもアメリカ軍が駐在していることも一つの要因といえるかもしれない。 又は沖縄戦も含めた歴史的なことからだろうか…。 そう言う「一つの国」「日本の中の国」という私的な意識を確かめに、又は改変するために行くのかもしれない。

それと同時にツアーでは味わえない「自分で計画する」、そしてそれを「自分自身で旅行、体験」してその結果何を得るか、何が足りないのかと言うことをツアーコンダクターを目指した自分とどこかリンクさせて体験することがメインテーマである。
  しかしツアーのメリットは「とにかく安い」ことに他ならない。一通りの観光スポットを回ったり、一流ホテルに宿泊したり個人旅行よりもお金を掛けずにリゾート気分を味わえる。
それに個人旅行よりもツアーは団体行動となるため安心感がある。誰かに頼れる信頼感がある。
飛行機等を使う場合のチケットの手配、発券、チェックイン他面倒な手続きとか旅行代理店や添乗員が行ってくれるので自分でする手間が省ける。

以上のようなメリットを差し置いて個人旅行にこだわるのは「どうしても船を使いたい」と言う気持ちが強いからだ。
今、沖縄まで東京からでも2時間30分位で行ける。逆に船、フェリーだと2〜3日掛かる。
まして料金も飛行機でうまくスカイメイトや特定便割引などを使えば15050円で済み、船は学割を使って一番等級の低いところが16040円で飛行機よりも高い。 にもかかわらず船にこだわる理由は「船にしかない味があるのではないか」というちょっとした期待からである。

7月15日  インターネットで安宿の検索をする。 それと一緒に本島の日帰りバスツアーをチェックする。 結構いっぱいあって一日必要になる。行き先も充実していてそれぞれテーマがあるようだ。
戦争の傷跡を見にまわるものや、南の島ならではの景色などを見に行くものなどがあった。
しかもバス会社の電話番号も記載されているのでプリントアウトして持ち帰る。  旅行代理店からJAL、ANA、JASの時刻表を一部づつもらってくる。 立ち寄った旅行代理店で船の旅を調べてもらう。
東京から出ていて乗り換えなしで沖縄まで行くのは大島運輸のフェリー有明しかない。
東京有明埠頭ー鹿児島県志布志港ー与論島ー那覇新港となる。
二等寝室大広間は学割が効いて16040円で行けるらしい。 行きはとりあえず船。?

8月25日 大島運輸に電話して9月の運行状況を聞く2,7,11,16日に東京から出るという。
バイトは6日から休みにしてあるので迷わず7日にする。 沖縄県青年会館に電話して船が着くその日、9月9日一晩を予約。 税別3500円で割と安い。

8月30日 バイト先に行ったついでに、びゅうプラザで乗船券の発券と予約をしてもらう。

9月7日 竜ヶ崎のアパートを11時16分に出る。
竜ヶ崎から常磐線、山手線と乗り継ぎ新橋まで行き、そこから東京臨海新交通臨海線「ゆりかもめ」に乗って国際展示場正門前まで行く。 そして有明埠頭沖縄行きフェリー乗り場までは徒歩10分で待合所に着く。 乗船手続きは15時30分からだったが14時40分頃に着いた。
予定時刻より早めに手続きが開始される。16時30分より乗船開始。長い階段を上る。
入ってすぐにレストランがあり結構きれいでびっくり。 部屋も期待して入るが唖然とする。
隣との間隔は全くない。定員52名がここに入ったら大変なことになる。そんな予感がした。
自分は壁に寄り掛かれる様にはじの場所を確保したが、微妙に揺れる船の感覚に、これは酔うと思った。 荷物をおいて一段落する。有明から乗船する人はおよそ50〜60人と言ったところだろうか。
出航が予定より遅れている。17時出航が15分遅れた。 東京の海はとにかく汚い。真っ黒である。
近くをカモメが飛んでいる。

9月8日 船内初めてのレストランで食事をとる。微妙に揺れる船の感覚で何とも言えない。
昼食を取った後デッキに上がる。 海がきれいだ。浜辺のような潮の匂いはしないがかすかに香る程度の匂いがする。 日射しも丁度いい。しかし風がとにかく強い。
ずっと海を眺めているとたまに魚が泳いでいるのが分かる。昨日までの海とはまるで全然違う。
別の海に来た気がする。 残念なのはほんの少しゴミが浮いているということだ。
ペットボトル、発泡スチロール、木片みたいなもの本当に少しだけど残念である。

9月9日 船内から見える海が更に透明度が増す。どうやら与論島到着も遅れているらしい。
1時間ほど遅れて与論島に到着。船内2回目のご飯を食べる。 与論島を出たばかりだからなのか船が、さっきよりだいぶ揺れる。食べ終わる と急激な吐き気が自分を襲った。
布団に横たわり1時間ほどで若干回復する。
那覇新港到着予定は16時から16時30分頃という船内放送が掛かる。 15時35分この船旅おそらく最後になるだろうスカイデッキに出てみる。まさに南国の島。日射しが暑い。
空港が近づくにつれて戦闘機がゴーと音をたて船の上を飛び去ってゆく。
16時26分 下船。今日の宿である沖縄県青年会館までは歩けると言うことなので歩いていこうとするが迷い、どこがどこだかさっぱり解らなくなるので、初日と言うことでタクシーを利用する。 
荷物を置き一休みしてから那覇のメインストリートである国際通りに行ってみる。
夕方と言うこともあってか2年前の昼時と比べて人通りが少な目である。
それでも昔のような活気は残っている。 一通り歩き折り返してミリタリーショップに入る。
気さくなおばちゃんが声を掛けてくる。悪い気はしない。目当ての軍払い下げ品のシャツを購入。
沖縄入り初日から大浴場でゴキブリを見る。

9月10日 宿を後にし一路近くにある波の上宮を目指す。 途中、天理教会がある。とてもでかく立派だ。 歩いていくと護国寺が見える。 まずそこから参拝する。水子地蔵がある。 石碑によると人間になれない霊を弔うものらしい。 気を利かせて線香とライターがおいてある。 3本線香を立てる。
「無事に帰れるように」と祈る。
波の上宮へは目と鼻の先。琉球独特の建築様式がまず目の中に飛び込んで来る。
境内の中では巫女さんが声の出し方の練習をしている。隣接するように大きな公園。 旭が丘公園だ。 公園内を一周してみると沢山の石碑がある。
人工的に作られた波の上ビーチがある。 那覇市内で泳ぐことができるビーチはここだけである。
ビーチと言ってもそれほど広くはなく、人も思ったより少ない。 背中に入れ墨入れたお兄さんがチャリに乗っていた。
公園で一休みする。 とにかく暑い。うだるような暑さ。 気温はさほど高くはないが日射しが強いのである。

本当は糸満に行こうと思っていたが東海岸の与那原方面に行くことにした。
心境の変化と言うよりは気まぐれで、どっちに行くかジャンケンで選んだという感じ。那覇から糸満へは12キロ、与那原までは9キロと決して歩けない距離ではないと確信したからだった。
脱水症、日射病、熱射病のことを常に頭に入れ無理はしない。 なるべく朝夕の涼しい時間帯に移動するように心がけようと思う。
ずっと歩き続けてとうとう与那原の看板を見た。思ってたより街は栄えているみたいである。
期待していた海岸がどこにも見えないことに焦りを感じつつ歩き続けると「沖縄市・西原」という分岐に来てしまった。 どうしていいか分からないけどとりあえず海が見えないのでまっすぐに歩く。
すると、又分岐の表示が見えた。
ガイドブックの地図で確認すると、どうやら中部に行くのと南部に行くのとに分かれているらしい。
とりあえず南部の方に行く。 更に歩いてふと左側を見ると家と家の間から海が見えた気がした。
だから左に曲がった。 案の定海岸線に出ることができた。

でもビーチではなく、下は岩というか珊瑚礁が隆起してできた自然の岩みたいなのがゴツゴツあり、所々に無数のくぼみがある。そこには海水がたまっていて干潮時に逃げ遅れた魚・貝・カニが一杯にいる。
南国特有の色鮮やかな魚もいる。
辺りを一通り散策した後、釣り人に 「この辺にビーチにはないのか?」と聞く。
すると 「ここら辺はみんなこんなのばかり、ここから近ければあの岬を越えたところにある。
それが新原ビーチだな。あそこはきれいになってて周りも民宿とかある」と答えてくれた。

日影で一休みする。どうやらここら辺は蚊が多いらしい。既に2匹に刺されてしまった。
足は重いがいざ出発。段々周りはサトウキビ畑で一杯になってくる。
「ちょっと焦って進みすぎたかも」という感じがした。
もう日が暮れそうだが、知念村に入ることができた。とはいえ、知念村は広い。
目指す海洋レジャーセンターの前に来て人工ビーチがあり、ここから先は左右両側とも山ばかりらしい。既に日も落ちた。 安座真人工ビーチの近くにボートがあったのでその中で野宿しようと決めた。
しかし、ハーフパンツの足には蚊にとって絶好の餌となるだけだった。 かゆさと痛さに負けて2時間でダウン。 とりあえず新原まで目指すことにする。
15分くらい歩いた所の知念村役場前のバスターミナルで、本当にこの先の道は真っ暗。
まるで峠のようである。 このバスターミナルだけが一際明るく街灯に照らされている。
ここで野宿するには場所が悪いと判断して、いたしかたなく徒歩は諦めヒッチハイクで新原まで行くことにする。 何台も通り過ぎていく。
ヒッチハイク開始してから30分経った頃若い男の人が 「どうしたの?」と止まってくれた。
「新原まで行きたい」主旨を伝えると「ちょっと遠いな」と言い自分はすぐそこの家に住んでいると言った。
1台目は駄目だったけど勇気が出て 「ここで一発決める」と思った。
ヒッチハイク開始から1時間3・40分で1台の軽自動車が止まってくれた。 
若い男女で、新原を通るそうで乗せてもらうことになった。名前を聞かなかったが車中では盛り上がった。 しかも「お腹空いてるでしょう?」と言いお菓子まで頂いてしまった。
盛り上がりすぎたのかドライバーの記憶違いかよく分からないが、かなり行き過ぎた所で降ろしてもらう。

そこから海岸を探したが畑ばかりで海岸は一向に見えてこない。
近くのバス停で場所を確かめ距離にして3キロほど来た道を引き返さなければならないようだが、とりあえず引き返すことにする。 ライトは一つだけで非常に怖い。
辺りは山だらけで沖縄戦最も悲惨な地「南部」である。0時は既に回っている。
乗せてくれた2人も「この前幽霊を見た」と言う車中での話を思いだした。
降ろしてもらう時最後のアドバイスとして「ハブには気いちきりよ」と言っていた。そんなこともあり途中で見つけた街灯で明るい建設会社の寮を見つけたので、そこで今晩は明かすことにした。

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9月11日 沖縄の朝は早いと思い、4時ちょっと過ぎには荷物をまとめ出発する準備をして夜明けを待つ。 しかし5時30分頃ようやく明るくなり出したので出発した。
国道を引き返す距離が結構ある。 5時50分頃新原ビーチに到着した。 辺りには誰もいない。
砂浜がとてもきれいだ。 ビーチサンダルを履いて海に入り、しばらく辺りを散歩してから一休みすることにした。 朝日も日中の太陽と同じくらい暑い。 少し遠くの方に島らしきものも見える。
「もう少しここにいたい」と思うようになる。 それにヒッチハイクでこの先行くとしても多少は自分の足で歩かなければならない。 それを考えると足も肩もまだ充分回復していないことも理由の一つだ。
しかしビーチは夜になるとバーベキューをしに来たりする人で賑わうそうなので、それをしり目におちおち寝てもいられないと思い、糸満行きを考える。
つまり南部戦跡を見ずして南部を去るが、しかし1回ここで去ったとしても糸満経由でなら沢山の車が走っていて「ヒッチハイクも可能だろう」という予測だ。そして新原ビーチを後にして国道に出る。
 いざヒッチハイクを始めようと思ったとき、沖縄入り初日の宿でA4の用紙に「糸満」と書いたのを思い出し、それを試してみる。
1回目の時は親指を上につきだし、それを肩と同じ高さにまっすぐ上げてヒッチハイクをしていた。
だいたいTV番組のヒッチハイクで旅行していた人達はみんな紙に行き先を書く方法だった。
今回はみんなと同じ方法だ。
1台目の車が向こうからやってくる。すかさず紙を上げるとドライバーの口が「糸満」と読むのが分かる。そして止まってくれた。 1回目と同じように糸満まで行きたい主旨を伝えると快く乗せてくれた。 親子連れの軽自動車だ。今回も乗せてくれたばかりかバナナを凍らせたものとアイスまで頂いてしまった。 
人の温かさが心にしみた。
しかし今回も、目的地「FMたまん」がある場所は那覇市とは正反対の方向の為、又今度と言うことにして野宿できそうな場所を探すがあまり気に入ったところがない。
だから那覇空港の少し南にある瀬長島まで行こうと思い歩き始めた。
夕方だというのに朝日と同じように日射しが暑い。ひたすら歩いて瀬長島に到着した。
まず感じたのは、ビーチにゴミが散乱していてとにかく汚い。 実に残念なことだ。
小さな公園がありそのベンチで寝ることにする。 とは言うものの連日連夜の野宿はつらい。
特に蚊だ。それさえクリアできれば特に問題はない。しかしこの蚊の問題は野宿中心の旅を考えていた自分にとっては大変な課題である。 これがあるせいで足がむくみ、血の気が引いていくような気がする。

明日は民宿に泊まる。2000円の所が予約できた。 携帯電話のバッテリーも切れそうだ。
なんか弱気になっている自分に腹が立つ、と言うより情けない。 頭上を民間の旅客機が飛び去って行く。機体の文字が見えるほど低空で。 しかし又別の考えにより那覇まで今日中に行くことにした。
那覇までなら余裕見て2・3時間見れば歩ける距離だし、なるべく明るいところで野宿しようと思った。
那覇まで行けば同じく野宿している人は数人いるだろうと言うくだらない理由だ。
瀬長島を出発し南部から北上していく。やはり坂がきつい。しかも那覇市内に入ってもメインストリートまでは結構距離がある。 何度もガイドブックで道を確認する。
土産売場の軒下で一休みしていると急に雨が降り出した。
休憩には丁度良いが移動中に降られては困る。雨がひとしきり降り落ち着いた様なのでまた那覇のメインストリート目指して出発する。 今思えば野宿するには不十分な装備で無茶なことをしていると思う。
それにさっき休憩したところで気付いたが、横になると腰に激痛が走り呼吸するのが苦しくなる。
どうやら重い荷物を長時間変わらない姿勢で背負っていたのが良くなかったようだ。
元々腰を痛めていたので、この先大丈夫かどうか不安だ。?
  ようやく見慣れた風景が目の中に飛び込んでくる。
それと同時に夜景がとてもすばらしく那覇が都会だと改めて感じた。 そして国際通り一歩手前の「大同火災」という大きな保険会社のビルの入り口前が丁度公園みたいになっていたので野宿となる。

つづく→

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