ice-manさんのレポート2 投稿者:ken 投稿日:2006/07/05(Wed) 14:30
9月12日
宿は14時には入れるので13時40分まで野宿したこの公園で休む。と言うより重い荷物を持って動きたくなかったと言うだけだ。
とりあえず民宿行って一休みしたら国際通りをもう一度歩きに行く。今度は野宿の装備を完璧にしたい。
とはいえ、荷物が増えればその分重量も増し肩や腰に負担が掛かる。だから慎重に選ぼう。
今日の宿である「民宿シモジョー」を探すのに苦労した。
あらかじめもらっていたチラシの略図も意味分からなく、「だいたいここら辺だろう」と言うところを歩き回ってなんとか見つけだした。 民宿と言うより普通の家だ。
シャワーを浴びてから一休みして国際通りを目指す。 虫刺され対策の為に買おうと思っている長ズボンや寝袋が見つからない。とにかく安いのでもいいと思って探すと1300円の中国軍の長ズボンが見つかった。 それを購入し宿に帰る。
9月13日
今日は宿を9時30分ぐらいに出て国際通りを抜けて首里を目指す。 首里へは結構近い。
国際通りを歩くついでに100円ショップでレジャー用のシートを買おうと思っていくが、既に10時過ぎているのにも関わらず店の開店準備ができていないので諦める。
そして安里の交差点を右に行き「首里 2.9キロ」の看板を見る。
近付くにつれて坂がきつくなってくるが、その分景色は素晴らしく期待できそうだ。
そこに「観音堂入り口」の看板がありガイドブックで調べてみる。 確かにある。
観音堂に寄ることにして道端で荷物を置いて一休みする。
すると一台の軽自動車が止まり中年の男が 「どこ行くつもりなのか?」と話しかけてくる。
とりあえずの目的地である「首里まで行くつもりだ」と言うと「乗せてあげる」といわれたが、「観音堂を見てから行きたい」ことを伝え断る。
しかし彼は「観音堂の由来を教えてあげるから乗りな」と誘ってくるので「沖縄の人に触れるいいチャンスかな」と思い軽い気持ちで甘んじることにした。 そして一通り観音堂を案内してもらった。
後で知ったことだが彼はAさんと言い49歳、今はタクシーのドライバーをしたり、色々な事業に手を出している人だ 。
観音堂の次はお昼と言うこともあって首里高校の前にある小さな弁当屋に案内された。
そこで初めて沖縄そばを食べる。価格は150円と格安で麺が硬い以外はとてもうまい。
カップラーメン程の量だが結構食べ応えがあり、客もまあまあ出入りしているようだ。
女子高生もいて、明日は首里高校の文化祭らしい。
彼の話によると月曜日は首里城が休みらしく、工事をしているらしいので他の所に行こうと誘われる。
別に首里城の正殿に入ろうとは始めからから思っていなく、首里城周辺を散策するつもりだったから関係ないが「案内してもらえるなら」と思い首里城は寄らないことにした。
次に案内されたのは織名園である。
庭園が立派でガイドブックにも載ってるにもかかわらず自分らの他に客はいない。 庭園の真ん中には六角堂があり中国の建築様式らしいことが分かる。近くには琉球の昔の家もあり、そこにも入ってみる。
台所が特に変わっていて、床が砂地の何にもない部屋の真ん中にまな板が置いてあり、釜戸がある天井はかやぶきの屋根だ。
次に案内されたのは南風原文化センター。 今沖縄戦で最も有名な壕の復元がある平和記念資料館の壕も実はこの文化センターの裏手にある山のものを再現したものだそうだ。 今でも何千体と遺体が眠っているそうだ。実際に使われたメスなどの医療用品も展示してある。 写真も何点か飾ってある。
地獄絵図のようでまともに写真が見られなかった。
そして名水百選にも指定されているところに案内された。
昔の様な石をきれいに敷き詰めた道路がそのまま残っている。その脇に湧き水が枯れることなく今も流れ出ているのである。 水を飲むがあまり冷たくないが自然の水だけあってうまい。
近くから眺める景色も最高によく、久高島が遠くの方に見える。
今度は航空自衛隊の中にある「佐敷ようどれ」に案内してもらった。
ゲートは厳重な警備ではあるがドライバーのサイン一つで気楽に見学することができる。単なる墓だが琉球時代の王であった尚氏の墓だ。 ツアーでは絶対に来れないところだ。 ここも景色が抜群にいい。
中城湾が一望できる。
そして最後に案内されたのは新原ビーチ。演出家の宮本亜門が経営しているという店の横を通って那覇に帰る。今晩は彼の家に泊まることになっている。
彼の誘いで生ビールの中ジョッキが100円だというところに飲みに行く。
ビールが100円なのは火曜日を除いた17時から19時までの間である。いろいろな話をする。
自分以外にも前に何人もの人を案内してきたこと。沖縄にあるアメリカ軍のこと。話題は沖縄のこと中心だ。
カウンターの目の前に座ったこともあって従業員が働いている姿が目に付く。
従業員と言っても専門学校生のアルバイトだ。しかしよく働いている。みんな手際がいい。
彼は「沖縄の人はよく働く。本土に比べれば物価が安いこともあって時給も安いがそれでもみんな一生懸命だ。」と言う。 確かに本土の人にはないものを感じる。
3日でも1日でもどんな職業でもいいから沖縄で働いてみたいと思った。
実際国際通りを歩いていて声を掛けた店もあった。すぐ断られたけど 又今度機会があったらトライしてみたい。
しかし彼にとって自分は客でしかないのだろう。
車の中では往復のバス代が今度はガソリン代として5000円を請求される。
「タクシー使って回るより安いもの」だと思い支払う。 しかしこれが失敗だった。
次の日も彼に案内してもらうことになっていた。
別にお金があれば問題はないがギリギリの旅をするつもりだったからここでの出費は大きい。
9月14日
今日も彼の世話になる。しかしはっきり言ってばかげていると思った。
彼に案内してもらえば確かに重い荷物を持たなくていいし、車で移動でき大変楽だ。 しかし自分が本当に見たいもの、歩いていて偶然に見つけるモノもある。 そう言うのを発見できなかったりしてしまう。
1日だけ世話になれば良かったのだが、半ば強引に計画を立てる彼に言いそびれてしまった。
彼が作ったゴーヤチャンプルーを朝御飯として食べる。 彼は自分の料理が天才的だと言っていたが、はっきり言ってかなりまずい。 修学旅行で沖縄料理を食べたときは平気だったからやっぱり味付けが良くないのかもしれない。 そのまずいゴーヤチャンプルーを中華鍋一杯に食べて気持ち悪かったが、せっかく作ってくれたのだから「美味しかった」という。
朝食を食べ終わってから首里高校に行く。 今日は文化祭があり、昨日から行きたいと思っていた。
そして初めて間近でエイサーを見る。 太鼓の音が大きく、高校生にもかかわらず動きがいいのが素人の目にも分かる。 12・13分位の曲にあわせて踊りきる。踊り終えてみんなとても疲れた様子だ。
首里高校下にある琉球の染物の琉染を見に行く。
紅型などの染め物ばかりでなく2階3階は博物館と言った感じになっていて、三味線や兜、壺などが展示してある。入り口はいって左側の囲炉裏のような所でお茶と黒糖それに泡盛も頂く。 黒糖は波照間島からわざわざ取り寄せたものらしく、黒糖の中でも一番おいしいものらしい。
甘さが口に残らずとても滑らかでガラスボートの待合所で食べたのとは大違いだ。
泡盛は30度のものらしくのどが熱かった。
旧中村家住宅に行く。琉球の昔ながらの建物である。 周りを囲む庭も立派だ。
沖縄市はコザにあるパークアベニューに行く。 昔は栄えていたが今は北谷にあるハンビータウンに客を持って行かれているらしい。何となくさび付いている感じはするが、完全に沈んだというわけではない。街自体も結構でかい。
そして今日も彼の家に帰宅して泊めてもらう。
しかし部屋がとにかく汚くて猫がゴキブリと格闘していたりする場面にも遭遇した。
「ここだったら野宿の方がいい」と思うくらい汚い。
ビールをおごらされ今日も5000円ガソリン代として請求される。
今日の夕食は、彼が造ったヘチマチャンプルー。まずい料理に恐怖を覚えるが味噌を自分好みに入れたのでさほどまずくはなかった。 へちまはくせもなく、なすのような感覚で食べられる。
今回も自分の料理は天才的だと言っていた。
この料理で一回店を開こうとしたらしいが正直言って本当に辞めた方がいいと思った。
9月15日
何度も目が覚める。 そして8時に起床し、「もっとゆっくりしていきな」という言葉を無視して「又自分の足で歩きますから」ときっぱり断る。彼に世話になったのは確かだが高い宿代となってしまった。
2日で1万3千円出費した代償は大きい。 甘い誘惑に負けたのは自分なのに、なぜか要領のいい彼に腹が立つ。 「乗る前に交渉しておけば良かった」と後悔の念が頭をよぎる。
彼と別れて中部方面で特に最近栄えているというハンビータウンのある北谷を目指す。
那覇からは20数キロあるらしい。2日掛かるかもしれない。 浦添市を過ぎてから雲行きが怪しくなり予想通り雨が降る。しかし前と同じように単なる通り雨で、雲があっという間に流されてゆく。
ここまで来るとアメリカ軍の車も多くなる。外国人専用のスクールバスが何台も通り過ぎる。
自転車に乗った外国人が向こうの方から猛スピードでこっちに向かってくる。
自分が軍服着ていることもあってか手を軽く挙げて挨拶してくれる。
そして又、車道を走っているMPのドライバーも笑顔で手を挙げて挨拶してくれる。
自分もすかさず同じように挨拶する。
日本の警察とは大違いだ。
思ったより早く北谷に入る。大きな屋台街がいくつもある。週末には沢山の人で賑わうのだろう。
大きな公園がある。ガイドブックには載っていなく安良波公園と言うらしい。
高台になっているところがあり、時間的に夕日を見るのには丁度いいが曇っていて見えない。少し残念だがとてもいい眺めだ。 那覇の港の方も一望でき遠くに来たことを実感させられる。
それにまだ新しい公園らしい。よく整備されている。 ハンビータウンだけでなく、もう2から3キロ行った先の美浜の方まで栄えているみたいだ。 ここからでも大型スーパーが見える。
夕方だというのに、と言うか夕方だからか町に人が出てきている。どうやら夜の街らしい。
さっきまで隠れていた夕日が海面すれすれでやっと姿を現す。
空はピンク色に変わり太陽はギンギンになっている。蚊に備え長ズボンにはき替える。役に立つのか心配だ。
9月16日
長ズボンの甲斐あってかあまり刺されていない。 ここにいると時間が流れるのがゆっくりに感じる。
とにかくここは落ち着ける。
昼間はこの公園も訪れる人は少なく外国人の親子が散歩していたりする程度で耳に聞こえてくるのは人工のビーチを造る重機の音と風で揺れる葉の音だけだ。 いつ出発するのかも気にならない。
新原ビーチでゆっくりできなかった分何となく長めにここにいたいと思った。
9月17日
今日も目が覚めるのはゆっくりでそして又昼寝をする。 子供達の騒ぎ声で目が覚める。
外国人の子供と彼らを引率している先生なのか親なのかははっきりしないが小学1〜2年生くらいの子供が100人位ランチボックス持参でお昼を食べに来たみたいだ。 みんなそれぞれふたつくらいの大きな集団に分かれて食べている。
そんな中驚いたことはスペンサーという子供が1人で歩いていると一方の大きな集団の子全員が、みんなその子に駆け寄って一緒にこっちに来て食べようと誘っているのだ。
日本ではあまり見たことない光景だったから特に印象的に覚えている。
それに食べ終わると普通に走り回ったりして遊んでいる。
日本の子供のように携帯ゲームで遊んでいる子供は1人もいない。
明日は沖縄市コザに向けて出発しようと思う。 本当は名護まで行きたいが帰りのことも考えるとあまりゆっくりもできない。 ここから名護までまだ40キロ弱はある。とても一日で歩ける距離ではない。
今回はコザに行って那覇に戻ることにした。
夕方になるといつも見回りをしている警備員がチャリに乗って巡回して来て 「あんたは出身どこねん?」と聞いてくる。 「長野です。今は茨城に住んでますけど」と答えると一言つぶやく、 「いい旅行だな」と・・・
つづく→