沖縄で12世紀から17世紀くらいに謡われていた歌謡を首里王府が採録して22編にまとめた物です。
ひらがなを主体として簡単な漢字も混ざり、歌の対象は現在の沖縄県下をはじめ、京都、鎌倉をはじめとして中国東南アジアにまで及び、交流の広さを窺い知る事ができます。
原本は火災で焼失し、現在各地で写本された物が残っています。
琉球王朝の最高神女、聞得大君の即位式の様子が記されている本。
これは、1840年の時の記録で、いくつかの拝所を回り斎場御嶽までの様子が細かく記されています。
政治とも密接につながった神女の存在は、当時、とても大きな意味を持っているものでした。
イギリス人
バジル・ポール氏の航海日記。彼は海軍のライラ号船長として1816年にアマースト卿の中国使節団に随行して、その帰り朝鮮、琉球に立ち寄り、その様子を航海記として1818年に出版。琉球に関しては好意的な視点で描かれていて、数ヶ国語に翻訳されて版を重ねた。
日本との条約締結を目指してアメリカから来た、ペリー提督率いる艦隊の航海日記。
25章のうちの7章が沖縄に関係した事にさかれています。
条約交渉が長引き、那覇に5回にわたり寄港して中継基地として利用していたようで、日米和親条約の締結に成功した後、琉米修好条約を締結したのはあまり広く知られていません。
第2次大戦で焼失する前の首里城の写真です。
ガラス製の乾板のポジに、手作業で着色した跡が見られ,なつかしい着色写真。
首里城本殿が大分老巧化し、て荒廃してしまっている様子が見て取れます。