米軍がガマの前まで迫ってきた時、降伏して出てくるように、と呼びかけましたが、鬼畜米英と教育された人々は捕まったら女性は犯されてから殺され、男も惨殺されると教え込まれていたために、誰もこの狭い洞窟から出ようとしませんでした。
そして切羽詰った彼らは、防衛隊が持っていた地雷で、ついに集団自決してしまいました。
それから何年もの間、この壕の事はそのままにされていましたが、この忌まわしい事件を知る一人の人がこの事を話したのをきっかけに、1971年このガマが発掘調査されて百数十体の遺骨が見つかったと言われています。
入口から覗いて見ましたが、確かに奥に向かっては大して広さがなく、あまりに悲しい雰囲気が漂っていてそれ以上奥に入る事ができませんでした…。