伊江島 アハシャガマ

伊江島イメージ

戦争の悲惨さを今に伝える場所です。

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他のページでも触れましたが、伊江島は太平洋戦争の激戦地の一つでした。この余り大きくは無い島で、千人以上の島民の方々が亡くなっています。

島の北東部、ゴルフ場の脇にあるこのアハシャガマには、付近の住人約120人が避難していました。
米軍に追われた防衛隊もその中に逃げ込みました。アハシャガマ入口アハシャガマ

アハシャガ説明マプレート

米軍がガマの前まで迫ってきた時、降伏して出てくるように、と呼びかけましたが、鬼畜米英と教育された人々は捕まったら女性は犯されてから殺され、男も惨殺されると教え込まれていたために、誰もこの狭い洞窟から出ようとしませんでした。
そして切羽詰った彼らは、防衛隊が持っていた地雷で、ついに集団自決してしまいました。

  それから何年もの間、この壕の事はそのままにされていましたが、この忌まわしい事件を知る一人の人がこの事を話したのをきっかけに、1971年このガマが発掘調査されて百数十体の遺骨が見つかったと言われています。
 入口から覗いて見ましたが、確かに奥に向かっては大して広さがなく、あまりに悲しい雰囲気が漂っていてそれ以上奥に入る事ができませんでした…。

現在観光が大きな産業になっている関係上か、戦績について余り多くのことが語られていません。
しかし、沖縄を訪れて亜熱帯の珊瑚礁や独特の琉球文化を楽しむと同時に、過去、この地であった悲惨な出来事、そして今現在もこの地では終わっていない第二次大戦の事等も知り、将来、この過ちを繰り返さないという決意を新たにする事も大切なのではないでしょうか。
(2006年12月)


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