伊江島 公益質屋跡

伊江島イメージ

戦争の悲惨さを今に伝える場所です。

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 公益質屋ってご存知でしょうか。
以前社会福祉事業の一環として市町村や社会福祉法人によって質屋を営業することが認められていました。これを公益質屋と言いす。昭和初期に公益質屋法という特別法ができて、一般の質屋より客に有利な規定とすることで社会福祉の向上に役立てようとしたのです。
営業質屋より低めの設定。最低4か月の期間。質物は競争入札で売り、さらにその代金から元金・利息を引いてのこりがあればお客に返す。
当時高利に苦しんだ人達に利用されていましたが、 時代の変化で公益質屋は減少の一途をたどり、2000年には公益質屋法自体が廃止されました。



現在は多少コンクリートで修復されていますが、地上戦の跡も生々しく、砲弾などの跡が残っていました。

蛇足ですが、この場所は駐車場が付近にあるわけではなく道路に面していますので、自動車で行かれる際には交通の迷惑にならないように気を配ってくださいね。


第2次大戦で米軍の攻撃を受けて島の中心部の建物はことごとく焼き払われ、かろうじて原形をとどめていたのがこの公益質屋の建物です。
1929年に政府の融資を受けて設立された村営の公益質屋でしたが、これといった産業が無かった伊江島は貧しく、当時世界大恐慌の影響もあり、島民の生活も苦しい時代。高利貸の暴利に泣く貧民を救う福祉施設として機能していました。


(2006年12月)


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