伊平屋島 クマヤ洞窟

伊平屋島イメージ

天の岩戸論争の元になった場所でもあります。

クマヤ洞窟 念頭平松 屋敷蔵 野甫島 無蔵水 伊平屋村歴史民族博物館 米崎海岸 クマヤ海岸 取材雑記

 平屋島で一番有名な観光名所といえば、ここクマヤ洞窟かもしれません。
海岸沿いの道路、ほぼ北端から岩山を細い階段で登り、大きな岩の折り重なった隙間を通り抜けていくと、突然広さ約600u 高さも10mくらいある大きな洞窟があります。
 この岩山全体は伊平屋層と呼ばれる緑や赤みをおびた※珪岩(チャート)の地層で出来ていて、地層が褶曲した場所の弱い部分が浸食されて空洞になったのだとする説が有力。沖縄に多数ある石灰岩質の洞窟とは異なるものです。
 昼でも奥は真っ暗。
周囲とは違った雰囲気が充満しています。
 中央には周囲とは違和感が感じられる比較的新しそうな神社形式の小さな社があり、その奥は本当に外部の光が入らずに暗闇になっています。
村の方に聞いてみると、どこの許可も得ず勝手に作られた社だそうで、村としても困って新聞などで撤去の要請をしてきたが反応が無いという事。
不法に作られた社
クマヤ洞窟最深部

  ここは全国に多数ある天の岩戸伝説の最南端地でもあり、江戸時代の国学者藤井貞幹が、神武天皇は沖縄の恵平屋恵に生まれたという説の根拠として、この洞窟が天の岩戸伝説のものであるという説を「衝口発」という本で発表しました。本居宣長達は「紺狂人」という本で反論し論争になったという史実があります。  現在もたびたび国学関連の研究機関や史跡研究者が調査に訪れていて、昭和43年には東京から大勢の人達が来て神代神楽の天の岩戸開き神事を行ったこともあるとか。
 ※「衝口発」については、港の近くにある伊平屋村立歴史民俗資料館にコピーされたものがあり、入館すれば自由に閲覧できるようになっています。

クマヤ洞窟への細い階段
岩の隙間を通ります
入口から見た洞窟
褶曲した珪岩
赤みの強い珪岩
※珪岩とはチャートや珪質砂岩が熱による変成を受けた変成岩。元の岩石に含まれていた石英が再結晶して成長したもの。海水に溶けていたシリカが粘りけを帯び軟泥となって堆積してて出来た物も含める。
V字型の岩

社のすぐ左手の薄暗い中に平らな板状の石がV字型になっているものを見つけました。地元の方は天井部分が崩落して自然に出来たのではということでしたが、平らな面といい何か人々が忘れるくらい古い時代に祭祀に使われていたのではないだろうか、など色々想像させられる場所でもありました。

(2008年07月)


ここに限らず、沖縄では公共の場所に知らないうちに拝所が出来ていたり、石碑が建てられたりしてしまうことが多々あるようです。
ユタとか神様関係の方々がお告げとかで祭る場合も多く、そうなると無碍に撤去することも出来なくなって、管理者に無断で〜を禁止します、的な看板が新たに作られ、出来ているものは黙認されるということも多いようです。
沖縄ならではかも知れませんね。
Copyright c 2008 沖縄情報IMA All Rights Reserved 沖縄情報IMA 沖縄IMAブログ 沖縄ブライダル情報 沖縄地域情報NET