港から南西に向かって車で少し行ったあたりから海岸に向かって入ると、近くの岩場の崖状になっている所に屋蔵墓があります。
自然に有った穴か人工的に作られたものかは解りませんが、入口は比較的小さな石が積まれてふたをされ、その中央には第一尚氏と書かれた香炉が、その右側には黒御影石で作られたと思われる屋蔵大王墓陵と書かれた石碑が建っていました。
祭られているといわれているのは屋蔵大主。
彼は英祖王統の五男として生まれ今から約600年前に我喜屋集落の上里に住んでいたと伝えられています。
二男二女に恵まれて長男は鮫川大主、次男は上里按司、女の子はノロになったそうで、その鮫川大主が琉球王朝第一尚氏の始祖である尚巴氏先祖に当たり、合せて祭られているそうです。
昭和10年、屋蔵大主の子孫であると言う二名の方が参拝かたがた墓の内部を調査して、その時六個の石厨子ガメがあることが確認され、その中の一つが南蛮焼きで出来たカメであった事から、それが屋蔵大主のものではないかと推測されています。
屋蔵大主が居住していた場所は屋蔵屋敷といわれ、現在は片隈神社が建立されています。