※比較的緩やかですが階段があるので、お子様とかお年を召した方は時間に余裕を持っていかれる事をお勧めします。ここは桜の名所でもあり、1月後半から2月前半には桜祭りも行われ夜はライトアップもあるので、この時期にご来沖の時には是非行ってほしい場所です。
ここで少々今帰仁上に関する歴史のお話を。
北山は13世紀後半にはここに城を構えていたらしく、中国の「明実録」と言う史書に尼芝(ハニシ)という王がいて、珉(ミン)、攀安知(はんあんち)がこの後につづき、西暦1383年から1415年くらいまで各王とも明との交易を行っていたと書かれています。
北山王攀安知は中山を攻める準備を始めていましたが、1416年(別の説では1422年)その事を羽地按司、名護按司が時の中山王尚思昭に伝え、尚思昭は息子の尚巴志に命じて先制攻勢をかけました。
攀安知の守る今帰仁城は堅固で尚巴志も苦戦したようですが、なんとかこの城を陥落させて北山は尚氏の軍門に下り、那覇から距離のあるこの地域の支配を確実にするため、1422年尚巴氏の次男尚忠を北山監守として今帰仁城に派遣。
その後1429年には南山も中山により滅され、三山が統一されて琉球国がひとつになりました。
.jpg)
時は流れ、1609年に薩摩大名の島津氏が琉球侵攻、今帰仁城も薩摩軍の攻撃を受けて火災にあい大破してしまいます。
第二次大戦後、沖縄の日本復帰に伴い今帰仁城跡は国の史跡に指定され、昭和55年度から保存修復事業が開始され現在も進行中。
(写真は修復開始当時の様子)