与那国から始まった海底遺跡に関するサイト内の情報をご覧になりやすいように一括してまとめました。
与那国、数年前からちょっと有名になっています。
なぜかといえば、すぐそばの海底に人間が手を加えて作ったとおぼしき遺跡が発見されたからです。
その
規模はかなり大きく、直角の石組や通路どが点在するもので、遺跡ポイントとしてダイバーにも有名になっています。
琉球大学の木村教授が積極的に人工物であると証明する事にアプローチしていて、最近、本島北部から海中鍾乳洞が見つかり、調査の結果二万年〜二千年昔に出来た事が判明し ました。その事から、遺跡もその時代には陸上にあった事が立証されたと言う事です。
遺跡下部についていた珊瑚が二千年前のものだった事を考えるとそれ以前に作られた事になり、今までの既存の古代史が見なおされる事は必至でしょう。 元来、学会と言うところは保守的な所のようで、この写真のようなものが自然にできたと言い張る方々が多いなか良く頑張っていると思います。
また、遺跡付近のサンニヌ台と言うところにも同じような石の建造物が見られ、加工された跡が見られる事から、これも含めた大掛かりな構造物があったと思われます。 ここだけでなく、慶良間近海、北谷近海、粟国近海などでも人工物と思われる構造物が発見され、話題になりました。 どこも、そんなに深海ではなく、5〜20mくらいの所だそうで同じ時期に水没したと考えられます。
著書の中で 、琉球大学の木村教授の話として載っている文に興味を引かれるくだりがありました。 それは、アメリカインディアンのホピ族についてで、ホピ族といえば最近になってから発見されたような宇宙に関しての知識を昔からの言伝えの中に持っている不思議な種族で す。その言伝えの中に、終末予言も持っている事で、テレビでも以前紹介されていました。 ところで、60年以上前に発掘された不思議な石板が県立博物館に数枚保存されています。 カテナ、北谷などで発掘されたそうです。
彫られている図形は、ちまたで言うムーの文字に似てるかも知れないと思えるもので、日本の神社に残ってい たといわれる、古代文字(トヨクニ文字、アヒル文字)とも似ていると取れるような形をしています。
前出のホピ族の酋長が石板をみて、「いつか日の昇る国から、もう1つのペアになった石板をもった白い人が来る。それが自分達の兄にあたる。」と言う言伝えがあり、自分達も石板を持っている。ずっと探しつづけていた。 」といったそうです。彼等は、霊感でここが世界の中心だったところと感じていたそうで、?「この先、人類を救うのはOKINAWAの人たちではなかろうか。」 と言い残して帰途についたそうです。
有名なポナペ島のナンマタール遺跡をはじめ、太平洋の西南域にかけての古代巨石文化は、共通点の多いもの のようです。
注:ポピ族の件に関しましては、日本ペトログラフ協会会長、国際岩石芸術学会連合IFRAO日本代表・吉田信啓様の本を参考にさせていただいております。 「海底のオーパーツ」二見書房.。作者は南山宏氏 「与那国海底にムー文明の巨大遺跡を発見した。」たま出版。著者は坂口拓史氏。以上の本を各社の了解を戴き参考にさせていただきました。
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2012年2月17日