締めくくり的にまとめるなら、 この琉球弧が、2〜3千年くらい昔に今よりもっと隆起していたとしたら、歴史が、そして地学が改められなくてはいけなくなるでしょう。
現在の学問では、そのころの日本では、まだまだ石器を使っていたり、やっと土器を作り始めたりしていたと教えています。
その人々が、あのような大きな石組をどうやって作ったか、何のためにそんな作業が必要だったかミステリーです。
しかし、先史時代の巨石文明は世界各地に点在していて、学者たちを困らせています。 ポナペ島のナンマタール遺跡、グアムのラットストーン、そして、沖縄海底の遺跡。 きっと元は同じ文明のものだったのでは無いでしょうか。
これらが何のために誰が作ったかは永遠のなぞかもしれません。
たとえば、今の文明が何らかの理由で滅びたとき、数千年後の人たちが発見しても何だかわからないのと同じように・・・。
太平洋岸に有る各島々の石造遺跡との関連性も、それらの神話の共通性と共に研究されるべき課題ではないかなーと思うのですが…。
END
琉球では、南の海のずっと向こうに、ニライカナイと言う理想郷があると信じられてきていました。
与那国にも同じような伝説がハイドナンと名前を変え、波照間島にはハイパテルマと言う名前でと言うように、南の海の向こうにある理想郷が語り継がれています。 その波照間では、ある年飢饉で食事にも事を欠き、小さな集落の人たちがそのハイパテルマ伝説を信じて、皆で小さな船に乗り込み、どこまでも荒い波のうねる大海原を南に向かいました。 でも、彼等はきっとハイパテルマにたどり着いたに違いありません・・・ だって… |
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