ここについて書くには、まずは尚円王(松金)について少し話さなくてはなりません。
彼はとても仕事熱心な良い男で、一生懸命に田畑の仕事をしていたと言う事です。
当時、この伊是名島の田畑は荒地が多くて、よく旱魃被害にもあっていたようですが、そこで松金は、ほかの田よりも少し高い位置にある、水がかれる事のない逆田の場所を開墾して稲作を行い、大旱魃の時にもこの田だけは豊作だったそうです。
村の男たちがこれを羨み、ある夜この田の水を下にある自分達の田畑に流そうと、金松の田の一部を崩してしまったそうですが、その事を聞きつけた松金を慕う多くの若い女性達が、男達には内緒で下の田から水を汲んでは彼の田に戻し、崩された所も直したと言う事です。
高い位置にあったにも関わらず水が逆流して潤っているような光景を見た村人は、ここを逆田と呼ぶようになりました。
働き者で村の女性達からも人気のある松金に対して「女たちをたぶらかして自分たちの田から水を盗んでいる」と考えた村人が、彼を島から追い出そうとたくらみ、それを知った松金はいち早く難を逃れ、しばらくして家族とともにこの島を後にして沖縄本島に渡ったと言う事です。
(この説話は、他にもいくつか多少内容の異なったものもあるようです。)