第一尚氏ゆかりの伊是名城跡の北側山麓の崖下に広い公園が出来ていて、その正面にあるのが伊是名玉御殿。
第二尚氏王統の始祖、尚円王が伊是名島出身なので、息子の尚真王の代に首里の玉陵造営後に建立されたといわれています。
15段の吉数のかなり急な階段があり、登りつめた所に立派な石門があって、そこを入ると切り立った岩を背にしてお墓があります。
尚円王の父、夫人、姉および宗祖などが葬られた破風型の陵墓で、厨子石棺は中国産の輝緑岩でできています。沖縄県の有形文化財に指定。
村の古老たちの言い伝えによれば、古玉御殿は勢理客の東村はずれ、ウツタグチテランソウにあったそうですが、後に仲田の東佐久原に移しかえ、更に仲田から南に約千米の現在地に祀られたということ。
墓石は二つあって左が尚円の父尚稷王(追尊で王位には就いてない)とその夫人、及び祖宗の遺骨が納められ、右の墓室には伊平屋列島の初代あんがなしに任命された尚円の姉 真世仁金(ませにがに)をはじめ代々の遺骨が葬られているそうです。
清明(シーミー)の季節には、ここで豚の頭、アヒル、鶏などのお供え物や、銘苅家に伝わる首里王府から伝えられたとされる尚家の家紋入りの祭器などが並べられ、今でも毎年清明祭が関係者を集めて厳かに行なわれるそうで、沖縄全域で行なわれる一般のお墓での清明祭は、これが終わってから執り行われることになっています。
と言う事は、その年一番早い清明祭は伊是名で行なわれると言うことになりますね。
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