慶良間諸島渡嘉敷島の入り口に当たる渡嘉敷港のすぐ近くに、お椀を伏せたような形の小さな島があります。城(グシク)島と呼ばれていて、大潮の干潮時には、渡嘉敷本島から歩いて行ける位浅い海でつながっています。
高さは116m、東西、南北ともに約300m.で、岩でできた崖で囲まれた部分も多くて頂上付近にあるといわれる平地までの道を探すのは、かなり困難に思われます。
頂上の平地には池もあり、雨ごいをしたといわれる御嶽が有るそうです。
オフィシャルサイトに出ている島の由来によると、
はるか大昔の人達が黒島についたが、そこでは住めずに儀志布島にうつり、さらに渡嘉敷島でも儀志布島に近い北山の北ウタキに移住しました。 その後、この城(グシク)島の頂上にある平地と、現在の字渡嘉敷の南にあるサトゥ(里)と呼ばれる山の中腹にも別れ住むようになり、人達は時々協議する必要があったので、現在の渡嘉敷神社の裏にあるクミチジ(久米頂)山に集まったと伝えられています。 クミチジ山は、南北が700メートル、東西が230メートル、高さ37.5メートルほどの丘になっていますが、当時は渡嘉敷の入江の奥にある小島でした。北御獄と里からは山や谷伝いにおりてこの小島に着いたのですが、グシクからは筏で渡って来たと伝えられています。
8月10日に島の安全を願う島御願の由来として、昔ウランダ船が渡嘉敷の港に入ろうとすると、イジリマジラシという力持ちがこの島に上がり、頂上から大きい石を転がして船が入るのを防ぎ、撃退したという伝説もあります。 →

高さは116m、東西、南北ともに約300m.で、岩でできた崖で囲まれた部分も多くて頂上付近にあるといわれる平地までの道を探すのは、かなり困難に思われます。
頂上の平地には池もあり、雨ごいをしたといわれる御嶽が有るそうです。

はるか大昔の人達が黒島についたが、そこでは住めずに儀志布島にうつり、さらに渡嘉敷島でも儀志布島に近い北山の北ウタキに移住しました。 その後、この城(グシク)島の頂上にある平地と、現在の字渡嘉敷の南にあるサトゥ(里)と呼ばれる山の中腹にも別れ住むようになり、人達は時々協議する必要があったので、現在の渡嘉敷神社の裏にあるクミチジ(久米頂)山に集まったと伝えられています。 クミチジ山は、南北が700メートル、東西が230メートル、高さ37.5メートルほどの丘になっていますが、当時は渡嘉敷の入江の奥にある小島でした。北御獄と里からは山や谷伝いにおりてこの小島に着いたのですが、グシクからは筏で渡って来たと伝えられています。
8月10日に島の安全を願う島御願の由来として、昔ウランダ船が渡嘉敷の港に入ろうとすると、イジリマジラシという力持ちがこの島に上がり、頂上から大きい石を転がして船が入るのを防ぎ、撃退したという伝説もあります。 →



と言う事で興味をそそられる小島ですが、なかなか行く機会がありません。
山頂の現在の様子はどのようになっているのか、是非知りたいとは思うので、まずは例のGoogleEarthで航空写真を見てみました。
今ひとつ緑に覆われていて地面の様子は良くわかりませんが、25000分の1の地図と合わせて考えると、確かに山頂付近に平地はあるようです。
果たしてそこには人が住めるような場所と水をたたえた池があるのか…

次回渡嘉敷に行ったら。、少しだけ島の中を歩いてみようかと思います。
※最近WEBで調べてみたら、この島の頂上付近は城跡になっていて、石垣も良く残っているようだとわかりました。住居跡も周囲にあるようで、ますます興味がわいてきました。
このページは一部渡嘉敷村オフィシャルサイトの内容を参考にさせていただいております。