橋のなかった頃の古宇利島

古宇利大橋ができて、古宇利島も便利になりました。

変わるべきものと、変えてはいけない物は…
 始めてこの島に来たときは、この島は、本当に離島でした。 今帰仁半島の運天港から小さなフェリーに乗り、15分の短い船旅。 船が着く古宇利港にはスロープがあり、ガラガラと大きな音を立てながら、フェリーがそれに乗り上げて停止。
港には小さな待合室があり、その周辺に民家が真ん中が盛り上がった島の斜面に集まっているようです。
とにかく沖縄の離島らしい、静かな佇まいの島の入口。  島の中央に向かっている道を登っていくと、今度は広くて平らな場所が広がっていて、耕作地が広がり、民家も少しづつまとまって点在しています。 そして、あちこちにこんもりした木の繁みがあり、御嶽らしきものがありました。

 集落を歩いても人とあまり行きかう事もなく、たまに離島定番のナンバープレートをつけていない一昔前に作られた自動車が、ゆっくりすれ違うくらいの寂しいくらいの雰囲気。

  きっと祭事のあるときには、人々が集まり賑わうこともあるのでしょうが、それも信じられないくらい。
何人もの神人(カミンチュ)がいて、御嶽(ウタキ)を祀っている島ですが、ここから離れる若い人もいて、後継者もままならないようです。

古宇利島の言い伝えを調べ、各ウタキを回ってみるのも沖縄の昔を知る上で興味深いと思います。

と言うように以前紹介させていただいた古宇利島ですが、2005年に古宇利大橋ができて本島と道路でつながりました。  何年もの歳月と、何百億かをかけた工費が、やっと形になったわけです。  
 屋我地島からまっすぐ伸びた、真新しい舗装の橋は、島に近づくと離島独特のエメラルド色に変わっていきます。 そんな事も有り、人の出入りが格段に増えてきました。
 私もその年に行って見たら、島に着くと左手に大きな公園ができていました。  そして、売店もできて地元で取れたものなどが売られています。
橋の袂のビーチもすっかり整備されて、海水浴場になっていました。

古宇利島へのフェリー当時の古宇利港周辺古宇利島中央部の道
現在の古宇利大橋入口付近

  そして、離島の生活を守るために、集落内へ続く道には、観光客は入らないでほしい旨の看板ができて、周りを回る道路に誘導されるようになりました。  その周回道路沿いには、何軒かのお店ができていたり、建設中だったり。
  確かに開通と同時に、週末には沢山の人出で混雑していたでしょう。そして、今までに無い量の観光客を迎える島の人々は、色々な問題がおきるのではないかと心配するのはもっともだと思います。

  ごく 最近行って見ると、現実はそれとは裏腹に、以前には無かった商店や食事のお店などがもっと増えていて、公園にある駐車場には何台ものバスが停まっていて、人で賑わっていました。  進入してほしくないと言っていた島の中央部にも、宿泊施設や食事ができるお店ができています。 
きっと島の人達の間でも、今までの伝統文化を守ろうと言う人達と、この機会に観光客から利益を得ようとする人達の間で軋轢があったのかもしれません。
  こんな状況について、部外者もいいところの私が口を挟めるわけではありませんが、今まであった島独自の自然、文化、伝統、そして島の人達の心が、陸路で本島とつながったために変わってしまうことは、なんだかとても寂しい気がします。 
 観光客が来ればそれなりの現金収入も見込めるわけで、そのために自然を乱開発して施設を作るような事が無いよう、この島を訪れる人達が何を求めて来ているのかをしっかり把握していっていただけたら、これからもきっと素敵な島のままで発展していけるのではと思います。

離島に行くときのお願い
http://www.okinawainfo.net/sima.htm

 
古宇利大橋の無い頃の古宇利島の中央部

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