渡嘉敷のオバー(2)
私の大好きなケラマ諸島の渡嘉敷島に、内地から遊びに行っている時から顔見知りのオバーがいます。
食堂、売店と経営してがんばっているんですが、今年の夏、暗くなってから夕涼みがてら散歩していると彼女に会いました。
つまらない話しをしていくうちに、話しは戦争の事になって、渡嘉敷にも米軍が上陸して大変だった事を聞かされました。
「ヤマトの兵隊がアメリカーは鬼だから、つかまったらデージ(大変)。特に女は犯されて殺されると言ってたから、アメリカーに追い詰められて山に入ったとき、殺されるよりつらい思いするだろうからって、自分の子供をいろんな方法で親が殺したんだ。
石で殴り殺し、自分も包丁で首きって死んだ人、手榴弾持ってて家族でそれで死んだ人、あたりは死臭でいっぱいでさ。
そんなしてるうちにアメリカが私たち見つけて、何か言ってる。
でも何だかわからないから生きてつかまったら大変と思って手首切って、あまりの恐ろしさに気を失っていたら、気がついたときはアメリカの兵隊の救護班に助けられて通訳がなんも心配する事無いってやさしくしてくれた。 それで私も今生きていられるわけさ。
逃げようとした若い者を、撃ち殺してたりしてたのはヤマトの兵隊さ。
鬼はアメリカーで無くって、日本軍だったって後でわかったよ。」
オバーは、戦争のときの傷跡を見せてくれながら、とつとつと語ってくれました。
渡嘉敷みたいな小さな島でも、500人以上の人が亡くなったといいます。
でも、太陽は亜熱帯の輝きで島を照らし、今は夏場観光客でいっぱい。
オバーは商売をしながらそんな過去を背負って生きてる。 だから、彼女等はチャーガンジュー(とっても元気)、無敵です。
オバー、大変だった分も楽しく長生きしてね。
」
ウージー畑のオバァー
ゆっくり南部の道を自動車で走っていました。
ウージー(さとうきび)畑が両側に続く農道です。天気も薄日がさして気持ちのいい風が開けたウィンドウから流れ込んできます。
道の先の左側に、オバーが一人日傘をさして立っていました。 道が細いので自動車のスピードを落として通り過ぎようとしたとき、オバーは大声で何か言いました。 なんだろうと車をとめると、オバーは急ぎ足で車の窓まできて
「ニイサン、車乗ろうね!」といってドアを開けようとしています。
「どこまで行くんですか?」と聞くと「佐敷。」 といい終わる前に助手席にのりこんでいるでは有りませんか。
「歩いていこうと思ったけど、暑くて疲れた。」 ・・・歩いたら、どう考えたって後30分はかかるはずなのに。
ということで、先の空き地でUターンして佐敷に向かったのでした。
「ニイさん、ヤマトンチュね?」から始まる一連の質問攻めに適当に答えて佐敷の町に近づくと
「ハイ、そこでいいさ。」と細い道の角でヨイショとドアを開けて彼女は車から降りて
「ありがとね。」と言い、すたすた路地に消えてていきました。
なんだか、ちょっとだけ良いことをしたような気分で、車をUターンさせたのでした。
でも、急いでいる人は、オバーの掛け声にとまらないようにしよう!
いや、オバーは急いでいる人は感でわかるのかもしれないなー。