沖縄のオバー話

ウチナーオバーはチャーガンジュー(沖縄のおばあちゃんはとっても元気)

旧市場前にいる楽しそうなオバー達沖縄の女性も男よりも元気が良い。 県内企業の賃金が安く、共働きしなければやっていけないという家庭の事情があり、女性も多くの場合共働きで社会参加しています。 昔から「男の一人も食べさせられないで、一人前の女とは言えないよ。」見たいな格言があるくらいで、そんなことからオバーターはとっても元気で長生き。70才代で死んだら、「となりのカメオバーは78で死んじゃったよー。ハッサ、早死にヤッサ。」 とか言われるわけで、すごいのは年をとっても異常に元気なオバーが多いと言う事。
 

友達の入院したオバァ

琉球村で現役活躍中のオバー 先日も私の友達がオバーの話をしていました。
「この前、オバーが入院してさー、大騒ぎだったってばー。 お腹がとっても痛くって動けなくなって入院したんだけど、検査してもどこが悪いかわからないわけ。 親戚中大騒ぎになって、もうだめかもしれないってお医者さんに言われて、孫達も皆でお見舞いにいって。」
「それで、オバーもとってもつらそうにしてるわけさー。
私が「オバー、どーしたー。 いつも元気なのに。」って聞いたら、小さな声で、 『テレビ見てたらよ、誰でも一日5分の体操で痩せられるって言う宣伝やってるさー。ほら、夜中にやるやつよ。 お腹が痩せられるというあの機械、アブ何とかって言うやつ、電話で頼んだらすぐにきて、オバーも太ってて最近からだが重いから、ちょっと痩せようと思って頑張ってやったらよ・・・
そしたら次の日になってお腹がとっても痛くて、動けんようになってしまったわけ 。デージ』 なんていうわけさー。 
「オバー、お医者さんにそのこと言ったね?」って聞くと
『はずかしーから言うわけないサー。』
私は急いでお医者さんに話したら大笑いされて一件落着。たんに筋肉痛だっったようで、翌日退院させられて、今元気に店番してはたらいてるよ。もー、人騒がせな。」
ちなみに彼女のオバーは85才です。

沖縄でオバーのいる家庭では大概笑い話の1つくらいあるものです。 沖縄に来たら、オバーのお友達を一人くらい作って帰れば楽しいはずよ! どこにオバーがおっこってるかって? まー、リゾートのホテルにはあまり見かけないから、やっぱり公設市場なんか行ってオバーの店で買い物でもすれば、大概のオバーはユンタカー(話好き)だから、すぐにお友達になれるはずと思うわけだけど…。

渡嘉敷のオバァーター(おばあちゃん達)

渡嘉敷安波連ビーチ前のパラソル組合のオバーターのお店   渡嘉敷は那覇港から高速船で30分くらいの離島で、慶良間諸島に属している手ごろなサイズの離島。 当然夏になると、世界的にも有名なきれいな海を目指して多くの観光客がおとづれるわけで、普段暇なオバーターもその頃になるとパラソル、マスク、足ひれなんかのレンタルショップを開店します。 寂しい事に今は少し様変わりしかけていますが、バスの止まる広場からビーチに入る入り口の細い道の両脇に、数件のレンタルショップが出現。取扱商品はどこもおんなじだから、チャーガンジューなオバーターが集まって当然のように商売合戦も始まります。
「ダー、ニイニイ、パラソル無いとデージ。沖縄のお日様は強いよ!」
「おねえさん、日焼け止めは持ってきたねー? 何もせんと大変な事になるよ。」
「海は綺麗だから、メガネかけてみたら魚いっぱい見えるよ。」
なんて強烈な買ってけ、借りてけ攻撃を仕掛けてきました。 競争が激化しないようにかどうかはわかりませんが、多分日本でここだけにしか存在しないパラソル組合という組織?ができています。 仲間同志の場所とりなどもいろいろもめたりもするそうですが、皆、明るい素敵なオバーです。
彼女達は大戦で悲惨な状況を潜り抜けてきたはずですが、昼間はそんな影すら見せません。  夕方から店も閉めて、夕涼みに出てきてる彼女達に挨拶すると、ひょんな話の弾みで当時の様子を聞かされる事もあります。本当に九死に一生を得たということ。 オバー、えらいねー。

オバァーの本


沖縄のおばあちゃんの話だけでできている本があります。とても笑えて、ちょっと感心させられる素敵な本です。本屋で見かけたら読んでみてください。お勧めです。だいぶ前に出版されているので廃刊になっている可能性があるので無かったらごめんです。 
(べつに宣伝料とってませんが)
発行所:双葉社  03-5261-4854
編:沖縄おばあ研究会 沖縄オバァ烈伝」そして続編の「オバァの喝!
オバーのイラスト
このイラストは、裏表紙の絵を参考にさせTれいただきました。

オバーの名前


沖縄のオバーちゃんの名前には、ちょっとびっくりする物が有ります。 ウシ、カメなどの動物系から、カマドー、ナベー(ナビー)などの台所道具系など。こんな名前のオバーが多くて驚きます。
どーしてオバーの名前がわかるかって?
沖縄では、葬式の時に新聞に掲載する習慣があり、日によっては見開き両面全部お葬式のページ(死亡欄)なんて事も。 歿年齢も書いてあるんですが、80才台なんてざら。 中にはカジマヤー(97歳)もとっくに過ぎた方も結構いっぱい。

あと南部にある平和記念公園にある慰霊碑を見てみると、犠牲になられた方々のフルネームが掘られていて、そこにいっぱい書かれています。

でも考えたら、今の女の子たちがオバーになったらリカオバー、とかナナミオバーとかになるわけで、それはそれでちょっと…。

渡嘉敷のオバー(2)

いつも元気だった渡嘉敷のオバー
私の大好きなケラマ諸島の渡嘉敷島に、内地から遊びに行っている時から顔見知りのオバーがいます。
食堂、売店と経営してがんばっているんですが、今年の夏、暗くなってから夕涼みがてら散歩していると彼女に会いました。
つまらない話しをしていくうちに、話しは戦争の事になって、渡嘉敷にも米軍が上陸して大変だった事を聞かされました。
「ヤマトの兵隊がアメリカーは鬼だから、つかまったらデージ(大変)。特に女は犯されて殺されると言ってたから、アメリカーに追い詰められて山に入ったとき、殺されるよりつらい思いするだろうからって、自分の子供をいろんな方法で親が殺したんだ。
石で殴り殺し、自分も包丁で首きって死んだ人、手榴弾持ってて家族でそれで死んだ人、あたりは死臭でいっぱいでさ。 そんなしてるうちにアメリカが私たち見つけて、何か言ってる。
でも何だかわからないから生きてつかまったら大変と思って手首切って、あまりの恐ろしさに気を失っていたら、気がついたときはアメリカの兵隊の救護班に助けられて通訳がなんも心配する事無いってやさしくしてくれた。 それで私も今生きていられるわけさ。
逃げようとした若い者を、撃ち殺してたりしてたのはヤマトの兵隊さ。 鬼はアメリカーで無くって、日本軍だったって後でわかったよ。」
オバーは、戦争のときの傷跡を見せてくれながら、とつとつと語ってくれました。

渡嘉敷みたいな小さな島でも、500人以上の人が亡くなったといいます。 でも、太陽は亜熱帯の輝きで島を照らし、今は夏場観光客でいっぱい。 オバーは商売をしながらそんな過去を背負って生きてる。 だから、彼女等はチャーガンジュー(とっても元気)、無敵です。 オバー、大変だった分も楽しく長生きしてね。 」

ウージー畑のオバァー


 ゆっくり南部の道を自動車で走っていました。
ウージー(さとうきび)畑が両側に続く農道です。天気も薄日がさして気持ちのいい風が開けたウィンドウから流れ込んできます。 道の先の左側に、オバーが一人日傘をさして立っていました。 道が細いので自動車のスピードを落として通り過ぎようとしたとき、オバーは大声で何か言いました。 なんだろうと車をとめると、オバーは急ぎ足で車の窓まできて
「ニイサン、車乗ろうね!」といってドアを開けようとしています。
「どこまで行くんですか?」と聞くと「佐敷。」 といい終わる前に助手席にのりこんでいるでは有りませんか。
「歩いていこうと思ったけど、暑くて疲れた。」 ・・・歩いたら、どう考えたって後30分はかかるはずなのに。
ということで、先の空き地でUターンして佐敷に向かったのでした。
「ニイさん、ヤマトンチュね?」から始まる一連の質問攻めに適当に答えて佐敷の町に近づくと 「ハイ、そこでいいさ。」と細い道の角でヨイショとドアを開けて彼女は車から降りて
「ありがとね。」と言い、すたすた路地に消えてていきました。 なんだか、ちょっとだけ良いことをしたような気分で、車をUターンさせたのでした。

でも、急いでいる人は、オバーの掛け声にとまらないようにしよう! いや、オバーは急いでいる人は感でわかるのかもしれないなー。

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