石垣島の中心から名蔵湾に沿って79号線を北上していくと、屋良部半島に沿って左に折れる道があります。そこを入り又海沿いに西に進むと、道案内の標識があるのでそれにしたがって左の方に。
道はすぐに未舗装になり轍があるのでタイヤを山と山に乗せて慎重に進みます。
しばらく行くと少し広い場所に出て駐車できますが、その右手に有る今にも壊れそうな建物がデンシンヤーと呼ばれている電信屋の跡です。
又の名を元海底電線陸揚室。
日清戦争終結後下関条約で中国の清から台湾を割譲した1895(明治28)年、まだ抗日運動なども台湾内では根強かったようですが、通信の重要性を理解していた日本は、植民地となった台湾との間に軍用海底線を敷設する事にしました。翌年に鹿児島〜沖縄本島、その翌年明治30年には石垣島を経て台湾との間に海底船を敷きました。
そして日本〜台湾間の通信施設が完成しました。
この時、中継場所として作られたのがこの電信屋です。
当時は日本陸軍省の管理下にありもっぱら軍の通信用に利用されていたようですが、後に管理を逓信省に移管されて一般公衆通信にも供用され、それから第二次世界大戦の戦後まで、約半世紀にわたり重要な役割を果たしてきました。
戦では、アメリカ軍の攻撃目標の一つになってしまい、現在もその当時の様子を語るように、壁や天井に無数の弾痕が残っています。
伊江島にある公益質屋跡と並んで、今も当時の様子を物語っている、貴重な建物です。
