英祖王統の墓地。
浦添ようどれは、沖縄の三山統一した尚氏王統よりも前の中山王である英祖王統のお墓のことです。
沖縄の歴史上実在するであろう最初の中山王、舜天王統の3代目義本が即位したのは1249年44歳のとき。この時代には運悪く沖縄に大飢饉、疫病が蔓延し死者が多数出たので、やさしいく責任感の強い王は自らの徳の無さが原因だとと思い王政を任せる摂政を探し始めました。家臣達は天孫氏の末裔で、母親が太陽を宿す夢を見て懐妊したといわれ、幼い時にはテダコ(太陽の子供)と呼ばれた英祖を推しました。
彼が摂政になって数年のうちに災厄は無くなり民心も彼を慕うようになると、義本王は54歳の時に自ら王位を彼に譲り、城を抜け出して一人で立ち去りました。 これが英祖王統の始まりです。
その英祖王統の墓が浦添に作られ、ようどれ(夕凪・死者の世界)と呼ばれました。なぜ浦添の地かといいますと、 多分このあたりが古琉球の首都だったと推測されているので、その中心からも近い場所だったと思われます。
時代が過ぎて第二尚氏王統7代目の尚寧王も、ここに眠っています。

今は周囲が浦添城跡公園となり、整備されて 見晴らしもよく、歴史の散策にはもってこいの場所。 入口付近に「ようどれ館」という建物があり、英祖王統のお墓の内部を復元・展示しています。 発掘された資料や説明パネルもあり、小さな建物ながら内容は充実しています。

一通り見てから、修復した石組みとが入り混じっている階段を少し登ると、視界が開け、お墓の前に出ます。
