謝名城のあるやんばる。どこからを「やんばる」と言うかは、その人の住んでいる場所によるようです。
たとえば、名護の人に聞くと、
「名護は違うから、名護よりも北のことさ。」
で、コザの人に聞くと
「名護あたりから北のことだはずよー。」
那覇の人に聞くと「本島の北のほうの事。多分コザより北くらいじゃない?」
と、とりあえず自分たちがヤンバラーではない事を言って安心したりする傾向があるようで、ヤンバル(山原)=田舎と言うような印象が強いようです。
でも、大宜味とか奥とかは、誰に聞いてもヤンバルであることに異議を唱える人は居ないでしょう。
さて、ここでヤンバルは単なる田舎かと言うと、私はそうは思いません。 現在は確かに過疎で、商店と言えば集落にひとつの共同売店だけ。
でも、文化的には、都市部では忘れられた多くのことがまだ残っている、そして人々も内地化されていない、素敵なエリアだと思います。
職場でいっしょに仕事をしている人がヤンバルの謝名城(ジャナグスク)と言う所の出身で、
「2年に一度の豊年祭があって、ニーニーがはじめて踊るらしいので、見に行かなくっちゃならないけど…。」と言う話をしていたので、お願いして同行する事にしました。
場所は芭蕉布で有名な喜如嘉の先。オクマリゾートの少し手前から、山側に入って行った所です。
那覇から車で2時間。台風の影響が多少有りましたが、何とか雨にたたられずに集落までたどり着きました。
渋滞も無く、予定よりも早めについたので、まずは城原の彼女の本家に。どうやらご先祖は、謝名城の城主の家系だったらしく、一番高い所に大きな家を構えていました。
そこから裏山の見晴らしの良い所に行く事になり山道をしばらく行くと、海を一望できる場所にたどり着きました。
58号線越しに海が見え、その向こうにオクマビーチが遠くに見えます。
双眼鏡でもあったら、かなり近くに見える距離です。
まだお祭りが始まるまでには時間が有ったので、昔お城があったはずの山の奥まで行く事にしました。車は勿論入れない細い道を登っていくと、左側には明らかに人の手が入った、野面積みの石垣のあとも何箇所かに見られます。
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2013年11月21日